2010/12/23 伊勢・名古屋旅行1日目 半田

概要

行き先 愛知県半田市
目的 赤レンガ倉庫やら運河やら
同行者 2人
鉄道乗車距離 505.8q


移動経路

品川
↓東海道本線
金山
↓名鉄常滑線・河和線
住吉町
半田
↓武豊線
大府
↓東海道線
名古屋
↓関西本線・参宮線
伊勢市

当日の流れ

さて、6時43分発で西へ向かう。途中、赤星の母校のある大府を通過して12時54分金山着。ここで名鉄に乗り換える。なんだかんだで13時過ぎに住吉町に着いた。先ず少し歩いて「赤レンガ建物」へ。日本で数少ない大規模な古いレンガ建築。

この建物は、1891年に地元の商人が創業したビール工場として、日本橋の装飾を手がけた妻木頼黄によって設計されたが、1944年に国家総動員法に基づき中島飛行機の衣糧倉庫として転用されて、戦後はコーンスターチ工場になったというように、様々な用途で使われたために、元○○とは言えず、赤レンガ建物と言う妙な名前になっている。

ガイドブックに「内部見学は期間限定」とあったので外から見る予定だった。突風の中倒れたトナカイの置物が散乱している建物の庭へ。私が外からずっと壁を見ていると、なぜか非公開の内部に通ずるドアが開いている。先に進んだ同行者が近づくと男性が出現。東京から若者が来たのが珍しかったらしく中に入ってよいといわれる。こりゃ入るしかない。

さて、入ると予想以上にぼろぼろである。天井が抜けていたり壁が崩れていたりと、15年前まで使われていたとは考えられないほどだ。とんでもなく壁が厚いのは冷蔵庫として作られたから。また、天井が瓦だった。理由は「瓦を積んで床を形成し瓦同士の中に空洞ができるので断熱、耐火になる」とのこと。また、以上に厚い壁は中空になっていた。日本で例の少ない構造らしく、初めて見る構造が多かった。

中を自由に見てよしといわれたので展示物も見た。展示物は建物やビールの歴史など。半田を襲ったP51の実弾もあった。当然、展示室は巨大冷蔵庫である。

さて、一周見終わるとおっさんにここに座れやとか言われたのでテーブルに着く。どうも工事か何かしているらしく人が数人いた。そこでお茶を出されておっさんと話す。まず「なんでここ知ってるの?」ということ。名古屋のガイドブックに書いてあったというと驚かれ見せたら別の人も驚いていた。いや驚くことか?

そこでいろいろ建物について聞いたりカブトビール(地元民が明治に創業してドイツから技師やら機械を取り寄せて生産したが昭和戦前に買収される)の事を聞いたりして結構時間が経つ。この後のことを聞かれたので話すと、予約制となっている酒の博物館は自由に行けるとのこと。お茶を飲み終わって室内から撤退。いろいろ役に立った。

ということで概観鑑賞を再開。北側の壁はP51の機銃掃射でぼこぼこ。レンガが弾に当たってへこんでいたので見がいがあった。これで一周したので撤退。ここは内部にしろ外部にしろ珍しい構造が多く面白かった。

今度は紺屋街道を通って運河へ向かう。この街道は古い建物が多く見ようとすれば時間がかかるがそれほどのレベルではないので歩きながら。蔵造が数軒。 運河の近くに着いたので国盛の酒の博物館へ。予約制というのは小さいところなのでいきなり大人数で行くと断るということ。入口に中年夫婦がいたので一緒に受付に電話して入れた。まあ山形の酒蔵に行った身としてはそれほどのレベルではないかな…とはいえ見たことの無い道具も数個。

ここはさっさと出てミツカンの支配地へ。姿三四郎のロケ地にもなった運河を進むとミツカン本社ビルがある。また、対岸にもミツカンの工場、こちらにもミツカンの倉庫とミツカンのロゴだらけ。それに酢のにおいがする。ちなみにミツカンは大企業ながら工場が木造のまま。運河をはさんで黒い大きな木造の工場が立ち並ぶ。景色はすばらしい。ただにおいが無理。ここでキャリーに足を乗せるとバキッという音。キャリーの一部が割れただと?

そして見終わったので駅に向かう。当然少し時間が余ったのでDASHで旧中埜家住宅へ。重要文化財ながらレストラン。700メートルキャリーをひいて走る。疲れた。ここはさっきのビールを始めた中埜家の元住宅でドイツの山荘をモデルに作られたテューダー式建築だった気がする。日本では数少ないらしい。うんすばらしい。この石と木材の組み合わせ。日本の木造住宅より明るい色。

このあとは半田駅から伊勢市へ。名古屋〜伊勢市間で快速みえが伊勢鉄道を経由するので490円もとられた。伊勢市駅はもうちょっと栄えていると思ったが施設が何も無い。駅前の百貨店も閉店したので夕食をしょうがなく「さと」でとった。ホテルはまあまあ。目の前にスーパーがあり弁当半額だった。