2010/12/26 伊勢・名古屋旅行4日目 明治村
概要
行き先 | 愛知県犬山市 |
目的 | 明治村訪問 |
同行者 | 2人 |
鉄道乗車距離 | 58.8q |
移動経路
名古屋↓名鉄犬山線
犬山
犬山
↓名鉄犬山線 犬山遊園
犬山遊園
↓名鉄犬山線
名古屋
当日の流れ
開園と同時に入場成功。600円しか取らないことに驚く。これだから儲からない。最初に知ったが、ここはレプリカは一切おかない主義らしい。
1丁目から。第八高校の正門を通過し、大井牛肉店を外から見て蔵持小学校へ。中には昔の教室。一回り小さい昔の人向け。展示は見ないつもりなので柱と窓枠に集中。窓枠の塗料と造りが学校(昭和7年築)と完全に一致。当時のスタイル。教壇もあるが私の学校の生徒には珍しくないだろう。
次に近衛局本部、学習院長官舎、西郷従道邸と見ていく。従道邸は重文。ここの見所はなんといっても天井だ。従来の石彫り木彫りの文様でなく、産業革命で可能となった銅版打ち出しで天上の文様を作っている。こういうの面白いと思うなら行くべき。また、男性用暖炉(石でごつい)と女性用暖炉(木でやわらかい)があったのは初めて知った。
ここを出ると夏目漱石住宅へ。最強に興味がない。さっさと行こうとするが班員が中を見たい(常識的に考えれば中も見るはず)らしく私は外から見ていた。最後に聖ヨハネ教会堂(写真)。ここも赤っぽい教会。これも横に回り込んだりしてじっくり鑑賞。中は普通に教会屋根に竹を使っていた。
ちょうど2丁目のツアーの時間なので集合場所へ。日曜だし人はいるだろと思いきや、部員のみ。ガイドのそこそこ高齢のおっさんとめぐる。最初にさっき時間的にスルーした三重県庁舎へ。E字型であり、内務省をモデルにしている。このイギリス式建築は板にわざわざ木目文様をつけている。つまり偽の木目を筆で書くのだ。入口に模様はそっくりで木目かと思ったが室内には手抜きも多く絵だと分かった。待合室や知事室などを見ていき、建築について語ってくれて展示はスルー。私はこれを求めていた。帰り際に窓枠がここも学校と同じことに気付き、たずねるとイギリス式の装飾ではやったということ。他にもいくつかの施設で学校と似た造りがあった。
2丁目に進み建物だらけの石畳(これも昔の建物のもの)の道を進む。最高じゃないか。千早赤阪小学校の講堂へ。ここでは立体写真があった。面白かったが時間がなさそうなので少し見て終了。今度は金沢の第八高等学校。中には階段教室があった。この階段教室は初期のもので今とは少し違う。おっさんが、進入禁止というところを勝手に開けたので中を見れた。
さて、突き当たりの東山梨郡役所へ。郡役所から警察署になったので警察のマークがあった。こちらも和洋折衷建築でE字型を採用した典型的な官公庁である。
次に清水医院。こちらは長野の山奥の金持ちがやっていた医院。島崎藤村の小説に登場する。診察器具が合った。今度は東松家住宅。珍しい3階建て。というのも江戸期までは3階建ては武士以外許されなかったのだ。そして大正期に木造3階は禁止されたので数少ない。この建物は3階部分が増築されている。天井もやけに高かった。ちなみに途中で金融業に変わったため後付けの鉄格子があった。ここの女中部屋は梯子で上り下りする。というのも奉公に着た女中は借金を返すまで帰れない。そのため脱走を防ぐために夜は梯子をはずして部屋に閉じ込めている。
中井酒造へ。中には酒造用に地下室があったりする。外から見ると屋根が外向きに沿っている。寺社と反対だ。おっさんによれば、むくり屋根といい京都の技法である。ここで11時10分に終わるはずがあと1件残して11時24分。おっさんが3丁目ツアー集合場所を確認すると誰もいない。ということで続行。
今度は安田銀行会津支店。外は土蔵風で中はいかにも銀行である。要するに和洋折衷。
最後に札幌電話交換局。寒い北国で高価な交換機をおくので丈夫で立派な建物が作られた。灰色一色石造りだが文様を入れて芸術性を取り入れた。さてこの建物は時代が流れ不要になる。そこで養豚業者に払い下げられ丈夫な豚小屋として使う準備が進んでいたところを明治村が買った。
最後に京都七条の巡査派出所へ。中に巡査がいた。明治の制服を着てサーベル(本物)を下げて職員としてこの事務所に常駐している。なんかマジックを見せてくれた。悔しいがタネがわからない。巡査と記念写真を撮って次へ。面白いじいさんだ。
さて3丁目。先ず北里研究所へ。ドイツで北里の学んだ研究所をまねたのでドイツ式である。尖塔が分かりやすい。ここは明治村が財政難で補修しないで放置していたらぼろぼろになって、北里大が修理を申し出てきれいになった。その代わり土足禁止になった。中身は医療用具。ちょっとみて出る。
次は幸田露伴住宅、西園寺公望別邸に行く。こちらは和風。幸田露伴のほうは住人役の解説員がいる。公望の方は海岸にあった家でその名も坐漁荘。座って釣りができると。まあさすがにできないんですが。
今度は芝川又衛門邸。こちらは神戸の豪商の別荘。洋風の別荘だが阪神淡路で半壊、移築。
今度は汐留レンガ迷路。これは汐留の工場の釜から大量のレンガが出たので迷路にしたらしい。
ということで品川燈台へ。日本最古の洋式燈台で重文。これは家の近くにレプリカがある。実物は大きかった。レプリカが結構な手抜きだと気付く。一応特徴を言うと、西を示す矢印がOである。フランス人技師が作ったのでフランス語である。ここを見おわると菅島灯台付属官舎へ。こちらは燈台についての展示。実際の古い明かりも稼動させておいてある。
このあとは長崎の南山手の居留地の洋館と神戸の洋館。南山手とかこの前行った。長崎は典型的な居留地建築。神戸は洋館に無理やり日本家屋をくっ付けている謎仕様。そうえいば古墳があった。ここは昔屯倉があったようだ。これでツアーが終わり解散。本当は2つあわせて70分のツアーが2時間かかった。どうも。
さて、坂の上の雲展関連で売っている意外にボリュームのある鯛めしを食べた後4丁目ガイドへ。さっきの変な巡査と再会しまたマジックを見る。タネがわからない。そして4丁目ガイド開始。また誰もいない。
今度のおっさんは真面目そう。先ずは無声堂。第四高校の武術場。1軒で柔道、剣道、弓道すべてできるようになっている優れもの。おっさんが孫が弓道をやっているとかなんとか言っていた。
今度は赤十字へ。ここは質素な病院。皇后が贈った飾りがあった。中は看護の歴史など。
歩兵第六連隊兵舎、軍用の病院と見ていく。さて次に進むと移民の住宅がある。先ずはブラジル移民。アマゾンの硬い木を使った建築。日本人大工が立てたので少し日本的だが基本的には密林を切り開いて入植した家なので熱帯的。中はブラジル移民の歴史。隣はハワイ移民である。ハワイっぽい教会である。白い壁に赤い屋根の高床式である。ここを見おわると鉄橋を渡る。もともと六郷にあったものだ。よくみると「liverpool ○○ironworks」などと書いてある。これは面白い。リバプールの製鉄所で19世紀に作られたのである。
ここを抜けると宇治山田郵便局。外宮の近くにあった黄色いV字の洋館。きれい。中では通常の郵便業務と郵便の展示。郵便箱なんかは面白い。
また進み品川ガラス製造所へ。日本は19世紀後半まで板ガラスを作れなかったが途中で作れるようになった。ここはレンガ造りの板ガラス工場である。これも実は家のわりと近くにあった。最後に和風建築の区画へ。小泉八雲の避暑の家で会談について見て呉服座へ。くれはざと読む。ここでおっさんと別れここのガイドの人に交代。ここは末広亭みたいなものだ。回転舞台や地下室を見学した。
今度は走って5丁目ガイドへ。今度は若い、といっても40くらい?のおっさん。まずは宮津裁判所。中は西洋的で検事が弁護士より上の席、裁判官が1人などと違う点がある。役人の服は飛鳥時代の絵を想像した。
ということで金沢監獄へ。上から見た形は東京拘置所と同じように逃走防止になっている。廊下はシンプルで両側に独房。環境は悪い。次に雑居房。こちらも外と枠1枚なので寒そう。そして東京駅前の派出所(今再建工事してる)を見て進む。最後は聖ザビエル天主堂だ。外観は教会。きれい。中は壁に聖書の有名なシーンがはられていた。また、教会建築である束ね柱もあった。ということで5丁目ツアー終了。
走って帝国ホテルに行くが、同行者がスタンプラリーに行って帰ってこないので、呼び出してぎりぎりで帝国ホテルガイド参加。14時50分でガイドが帰るが14時49分に申し込み。ここは鉄筋コンクリートなので移築ができず持ってきたのは一部。ライトの設計で中はこっている。灯篭をイメージした明かりや自分でデザインした家具や地蔵をイメージした仕切り。耐震性を高めるために重心を低くしてあり天井が低い。この中で開放感を出すために壁を減らし開放感を出している。実際に、この建物は披露式の日に起こった関東大震災で残った。(地下のプールが壊れて二度と使えなくなったが)ライトはすごいと思う。まあ予算を使いすぎて解雇されたが。ガイドが終わり走って戻る。あと20分でバス。
最後の3つをさっとみてバスに乗り込む。バスの中で機械館などに行き忘れたことに気づく。しょうがない。ということで撤退。そして犬山駅経由で犬山城へ。16時30分が最終入場で16時15分着。さすが国宝。景色が良い。