2011/12/23 近畿旅行2日目 熊川宿&舞鶴

概要

行き先 福井県若狭町 熊川宿&京都府舞鶴市
目的 重伝建見学&自衛隊関連見学
同行者 2人
鉄道乗車距離 374.1q


発着時刻 駅名 行先
06:23 新大阪 東海道本線 快速 米原行
06:52
06:59
京都 湖西線 普通 近江今津行
08:03
08:15
近江今津 JRバス若江線 小浜駅行/td>
08:43 橘町 (到着)
11:25 橘町 JRバス若江線 近江今津駅行
11:53
12:43
近江今津 湖西線 普通 敦賀行
13:15
14:22
敦賀 小浜線 普通 東舞鶴行
16:13 東舞鶴 (到着)
17:05 東舞鶴 舞鶴線・山陰本線 リレー号 福知山行
17:5017:52
福知山 福知山線 普通 篠山口行
18:50
18:59
篠山口 福知山線 快速 大阪行
20:06
20:10
大阪 東海道本線 普通 京都行
20:14 新大阪 (到着)

当日の流れ

あえて暴風雪予報の日に、雪深いといわれる若狭熊川宿に行くことにした。

予定では5:02に出発する予定だったが、ホテルの仕様の問題で無理なので6:23に出発した。その結果舞鶴の見学時間が2時間から1時間になった。

まずは湖西線で琵琶湖西岸を北上する。沿線の家々にはうっすら雪が積もっている。そして近江今津駅から小浜行のJRバスに乗り換える。このバスは敦賀を経由せずに山を越えて小浜へ直行するルートであり、途中で山中の熊川宿にも停車するのだ。沿道はだんだん雪深くなり、一時は膝くらいの高さに積もっていた。しかし熊川宿は大体除雪されており、積もっているところでも10p程度だった。この時点では拍子抜けした。

9時に着いたので資料館は開いていない。そのため宿場の端から端まで見ることにした。ここはカラー舗装と電柱の撤去がされており、番所(全国で唯一当時の位置に現存)、道割、家々の前の川も残されている。少し積もった雪もあったため、非常に風情のある地域であった。そして資料館へ入った。当然冬に来る客など居らず、受付のおっさんに案内してもらった。いろいろ聞いたが覚えているのは、「この宿場は17世紀頭に建設されたので住民の名字はバラバラ」、「生まれてからずっと熊川に住み続けている高齢者は自分含め4人」、「高島屋は近江高島発祥」、「伊藤忠2代目社長は熊川生まれ」などである。「この写真に写っている人は私以外みんな死にました」と言われた時は反応に困った。館内にいると雪が降ってきた。おっさんが言うには「この手の雪はすぐ止む」らしく、資料館を出たころにはやんだ。帰り際に「古い建物のない町はつまらない町です」と書かれた絵を見つける。変わっている。


その後も宿場を見ていたが、途中で本当に暴風雪になった。突風に乗って大量の雪や氷がぶつかってくるのである。帽子とカメラが水没したような状態になっていた。同行者はリュックをちゃんと閉めていなかったので雪が侵入していた。その代り、フラッシュ撮影すると雪国らしい写真が撮れた。

そして時間になったのでバスで近江今津へ帰った。しかし、ここから先の列車は50分後であったので琵琶湖岸へでも行ってみた。確かに琵琶湖が有った。山はきれいだった。しかし、町には何もないのだ。古い家は多少あったが見どころが無いので、湖岸で鳥と遊び駅へ帰った。

湖西線ホームは景色が良いので撮影していたら、それに気づいたカップルも撮影を始め私の前に出てきた。そのせいで写真にはカップルが写りこんだ。やめていただきたい。

その後敦賀へ着いたが、ここでも1時間待ちである。そのため外を軽く見てくることに。敦賀は2009年冬以来だが、駅舎が工事中で時計のついた屋根の上の柱が撤去され見栄えが悪い駅舎だった。しかし、そこそこ大きな売店とそば屋ができていたのでそこで昼食をとった。なお、メーテル像などはそのままだった。また、同行者がペーパークラフトを買って、おまけで急行能登の大きな行先表示板を貰った。以後これを持って歩いたため地元民に不審がられた。
左の写真は2009年冬撮影。右の写真は2011年冬撮影。

小浜線に乗ろうとしたら、「小浜線マナーアップ・利用促進キャンペーン」なるものをやっていた。地元民が小浜線に定期・回数券以外で乗ってスタンプを貰い応募すると、北陸・京都への旅行かJRの1万円分乗車券が貰えるというもの。小浜線は利用者が少ない上に、乗車する学生のマナーがすさまじく悪いようだ。「自動車免許をお持ちの方はご存じないかもしれませんが〜」という前置きをしているのがいかにもローカル線らしい。

そんなことで東舞鶴に着いたのは16:13のことである。この時点で結構少し暗くなっている。50分しかないので自衛隊桟橋まで走ったが、途中で道を間違える。桟橋ではなく教育隊に向かっていたのだ。その上急行能登の行先表示板を持って走っているので遅い。途中で車にひかれかけた同行者がいるという話も。 赤レンガ倉庫のある桟橋付近に着いたのは16:35である。5分ほど滞在し艦船を見た後、また走って駅へ向かう。舞鶴は寂れている感じもしたが、そこそこ活気はあり小さい映画館が営業していることは驚きだった。

東舞鶴からは福知山まで直通のリレー号に乗った。この列車はかなり混んでいる。そして福知山から大阪、大阪から新大阪へと帰った。

この日の夜に、「戦国武将大決戦ゲーム」という不思議なゲームをした。相手が何の駒なのかわからず、皆1マスしか進めず、持ち駒を使えない将棋である。そこそこ面白い。電子ゲームが今のレベルに普及する前はアナログの凝ったゲームがいろいろあったようで。