2011/7/25 四国旅行4日目 下灘・松山

概要

行き先 愛媛県伊予市双海町下灘駅、松山市
目的 下灘駅訪問、松山市内観光
同行者 1人
鉄道乗車距離 56q


発着時刻 駅名 行先
06:58 松山 予讃線 普通 八幡浜行
07:53 下灘 (到着)
08:59 下灘 予讃線 普通 松山行
09:49 松山 (到着)

当日の流れ

6:05の電車に乗るのに、なぜか5:05だと間違えて1時間早く駅に行き、駅で気づいてホテルに戻る。そうして6:05に乗ろうと後で駅に行くと、なぜか乗り遅れて待つはめに。6:58で下灘へ向かう。

途中で地元の高校生と遭遇した。なんか話しかけられたので話す。まず相手は私を年下だと思っていて、私は相手を年上だと思っていたがどちらも高1だった。相手のグループの印象はヤンキー。東京から来たと言ったら「芸能人にあったことあるか?」と。「笑福亭鶴瓶とか速水もこみちなら近所でロケやってて見た」といったら驚かれる。他の部員が宇和島に行っていることを言ったら「東京の人は金持ちだからな」とか言い出した。ただ物価も高いのよ。そうして下灘で降りると言ったら「あんなところ何もない」と。確かに何もないけど駅があるのだ。ちなみに、「不良に絡まれたらこいつの名前を出せば大丈夫」と巨漢を紹介された。ただ、下灘は不良すらいないらしい。

そうして下灘駅着。どこかのTVで降りてみたい無人駅2位になった。ちなみに1位は田本。降りてみたがすぐ左には山、すぐ右には海だった。これは面白い。駅も駅前の建物もボロボロでさびれている。いろいろと撮影したが、ここでのポイントは海岸の車道を映さずに撮影することかと。待合室から駅名表示板を半分だけ映したアングルが18きっぷのポスターに使われたこともある。


下灘港へ向かう。この辺りはgoogle mapがきちんと描画していなかったので適当に進む。それにしても山がせっている。これでも海岸沿いを相当埋めたらしいので昔はどういうところだったのやら。そんなことで下灘港着。意外に大きい港。ただ人がほぼいない過疎地だ。市場も休みだから余計に寂れて見える。うろうろしてると地元民に「ここは見るとこないけど沖でイカ釣り船を沈めてる」と言われたので見に行く。確かに遠くで船を沈めてた。それからもうろつき一通り見終わり駅まで帰る。入線してくる列車を撮影して松山に9:46着。

今度は松山市内をめぐる。まずは路面電車の1日券を買い松山城へ。リフトで上まで上がり城へ。現存天守なので悪くはない。景色は良かった。そして城を後にした。帰り道が山道だった。

次に、ロープウェー乗り場のスペシャルドラマ館へ行った。スペシャルドラマ館は坂の上の雲の小道具などがおいてあって、そこまで面白いわけでもないがつまらなくはない。そして出た。

そして今日の目玉晩翠荘へ。旧藩主の久松家の旧邸宅だ。純フランス式ということになっているが、左右非対称という日本的要素も加わっている。個人的には左右対称の純ヨーロッパ式のほうが好きだが。ここは美術館の分館で展示していたが完全スルー。

さて建物について。ネオルネッサンス様式で各所に黄金比が。手すりには細かい彫刻が有り手が込んでいる。各所に配置されたステンドグラスはハワイから取り寄せたらしい。車寄せはギリシア風。柱の中部が膨らんでいるという特徴も。ここは美術館なので解説員がいない。よって解決できなかった疑問がいろいろ。例えば「天井の彫刻は石彫り?木彫り?銅板打ち出し?」の件。ヨーロッパでは石彫り、明治日本では技術が無いので銅板での代用例(西郷従道邸など)もあるがここはなんとなく木彫りに見えた。しかし実際はどうだろうか?やはり解説員は必要。こういうことを詳しく知りたければ、明治村でボランティアガイドをすべての所で頼めばいい。

こうして内装を見終わったが、同行者はとっくに見終わっていた。私は外観を見ようと思ったが、彼は興味無さげなので坂の上の雲ミュージアムに行かせ私は外観を見ることに。まず「この建物の改修事業費は伊方原発の交付金を使いました」という内容の看板。外装は、今回も窓枠を見たけれどもいつも通りのもの。第一国立銀行と同じ。隣にあった愚駄佛庵は土石流で潰れたので行かず。

そして湯築城へ。資料館に入ると熱心に説明してくれるおっさんがいたので聞く。「松山は新しい街で道後は古い町だから城の正門はこちら」、とか、「ここがへこんでいるのは建てられた当時、山を削って城を作る技術が無かったからだ」とかいろいろ聞いた。あと、この城は江戸時代立ち入りが禁止されていたので、明治初期まで完全に残っていたが、明治期に動物園が作られ若干壊れたとか。それでもここまで綺麗に土塁が残る城は少ないようだ。写真は土塁の断面。

そして復元工事のビデオを見て城跡を見る。復元した武家屋敷など。身分の高い人の屋敷とそうでない人の屋敷が城の中に分かれてあったことは出土した陶器の種類でわかるらしい。なお、身分が下の武士の屋敷はここが動物園にされた時に小動物のオリだったので遺構が大して壊れなかったが、城主の館は象のオリが作られて深く掘られたのでかなり壊れたらしい。そんなことで中央の山の上の展望台に上って帰った。