2011/12/20 近畿旅行1日目 美山北村
概要
行き先 | 京都府南丹市 美山北村 |
目的 | 重伝建訪問(茅葺屋根) |
同行者 | 1人 |
鉄道乗車距離 | 172.1q |
発着時刻 | 駅名 | 行先 |
---|---|---|
07:07 | 京都 | 山陰本線 普通 園部行 |
07:52 07:59 |
園部 | 南丹市営バス美山園部線 静原行 |
08:39 08:40 |
宮脇 | 南丹市営バス知井線 静原行 |
09:00 | 北 | (到着) |
12:18 | 北 | 南丹市営バス知井線 |
12:38 12:38 |
宮脇 | 南丹市営バス美山園部線 園部行 |
13:17 13:40 |
園部 | 山陰本線 普通 京都行 |
14:22 14:49 |
京都 | 奈良線 みやこ路快速 奈良行 |
15:26 15:29 |
木津 | JR東西線・片町線 快速 宝塚行 |
16:41 16:46 |
尼崎 | 東海道本線 快速 米原行 |
16:53 | 大阪 | (到着) |
当日の流れ
22:30新宿集合だったので、21:30くらいには新宿についていた。時間が有るので、カメラの点検の意味でも特急かいじを撮影していたら、レンズを地面に落とした(無傷)上にキャリーバッグを足に落下させる。ものすごく痛いが爪が割れなかっただけましだ。
そして改札を出ると部員を発見し、食料などを調達した。ここで同行者が「tnkさんコサックにみえます」と。被ってきた帽子はつぶして被るタイプだったが、先程適当に被ったので膨らんだままだったらしい。この帽子のせいで旅行中、私は別の同行者ににそこら辺の女性だと間違えられた。
さて、寒い中夜行バスを待っていると乗車受付が始まった。そして出発するが、すぐ消灯された上に「光が出る物は使用禁止」「私語禁止」という劣悪な環境であった。実際同行者二人が小さい声で話していたら運転手に注意されていた。MLながらの方が良い。景色が見えないのでとっとと寝て、京都の少し前で起きた。そして5:59京都駅烏丸口着である。
取り敢えず朝食を調達し駅内で道を間違えつつ、改札内に入った。乗るのは7:07の山陰本線だが、外で待っているのも暇なので車両の撮影をしていた。まずは、6:18京都発の急行きたぐに。2012年3月の改正で臨時化(春はGWのみ)されるので実質見納めだった。個人的にこの塗装が好きなので。年季の入った車両は雰囲気が良い。但し予想以上に暗く、撮影に失敗した。その後は特急やくも、奈良線103系など色々見ていた。気動車のうるささは都内だと上野駅地平ホームくらいでしか聞けないので、都内脱出を感じさせる。それにしても、京都駅は「287系が導入されます!」の広告ばかり。北近畿・南紀方面の特急が287系に置き換えられる時期だからとはいえ、宣伝のしすぎな気も。
そして7:07の山陰本線園部行に乗った。京都から北進していくと、だんだん山に近づいていくので盆地であることがよくわかる。保津峡駅はずいぶん凄いところにあるな…と思った。途中で183系の特急きのさきとすれ違った。これも今度287系に置き換えられるので見納めだった。7:52園部着である。
7:59の南丹市営バスに乗った。園部〜宮脇間は普通の路線バス車両だったが、宮脇で乗り換えた車両が10人乗り位の、ろくに塗装もされていないワゴン車だった。これで「路線バス」とは思わなかった。客も私たち含め3人。山中を走るが、点々と集落が存在し、茅葺屋根も多少あった。しかし多くはトタンを掛けられている。
そうして9:00に美山北村についた。鯖街道沿いで、山に囲まれ斜面に張り付いた農村であるここは茅葺屋根家屋数全国3位、残存率でいえば首位の集落で交通アクセスも悪くないところにありながら観光地化はあまり進んでいないため、農村の原風景が残っていると評価されている。実際集落内の土産物店は、道を挟んだところにある2軒と少し離れた道の駅だけであったし、観光客は帰り際に会った2組だけである。白川郷は土産物店が多いようだが、こちらは現役の民家として使われているものが多いようだ。良いこと。
9時に着いたが資料館が開くのは10:30である。そのためまずは集落を歩いて観察することに。
この集落は、(高)山|集落|田畑|車道|川(低)という構造である。雪は周りの山の上部にあるのみで、集落には僅かしかなかった。ここは普通に舗装こそされているが、雰囲気がそこら辺の重伝建とは別格である。多くの重伝建では、空気を読まない近代的な家屋や最近整備されたと思われる家屋が多く見られるが、ここのほとんどの家屋は空気を読めているうえに、使い込まれているように見える。家屋と家屋の間に畑などが有るのも雰囲気づくりに作用しているのかもしれない。数年前火災が有ったこともあり、放水銃は多く設置されているが、木製ケースに入っているので気にならない。神社も集落の上側に存在するが、みる物はあまりなかった。山際へ行ってみると土砂崩れが複数個所あった。このように集落をひたすら歩き、ほぼすべての道を制覇した。資料館は1軒の民家を改造したものだったが、数年前に消失し現在は再建されたものである。しかし伝統的な工法で建てているため、茅葺の説明は分かりやすかった。昔の農具もいろいろ並んでいたが、特筆することはない。
そんなことで資料館を見終わったが時間が余った。そのため資料館に有った集落内の新聞を読んだが、「数年前に資料館が焼失したのは観光客による放火だ」と主張している投稿文が有った。こういう人が紙面をにぎわしているのが観光地化の進んでいない地域らしい。また、この新聞は白川郷周辺を「観光地」「家の向きがばらばら」と酷評している。内輪向け新聞だからとはいえ、外部に見られることもあるのだから好ましくないと思う。
そして12:18のバスで園部に戻った。京都で湖西線の113系を見つけて喜んだ。京都からは、直行で新大阪に帰らずに木津・尼崎を経由して帰ることとした。時間がかかるが楽しいので良い。これで片町線・JR東西線を完乗。
16:57には新大阪に着いたが、こんな早くに帰ったのは特急日本海と特急くろしおを見る為である。日本海もきたぐにと同様、3月の改正で臨時化されるので見納めである。くろしおも車両が置き換わる。ホームには中学生×4と御爺さんも撮影に来ていた。この日はトワイライト塗装だったので、数日後に予定していたトワイライトの撮影はやめにした。