2011/7/22 四国旅行1日目 鞆の浦

概要

日時 2011/7/21 22:30〜7/22
行き先 広島県福山市 鞆の浦
目的 鞆の浦見学
同行者 3人
鉄道乗車距離 915.9q


発着時刻 駅名 行先
21:45? 新馬場 京急本線 普通 品川行
21:48?
23:18
品川 東海道本線 快速ムーンライトながら 大垣行
05:53
05:58
大垣 東海道線 普通 米原行
06:31
06:34
米原 東海道線 新快速 播州赤穂行
09:03
09:13
姫路 山陽新幹線 ひかり 岡山行
09:38
10:10
岡山 山陽本線 普通 三原行
11:11
11:30
福山 鞆鉄バス 鞆港行
12:00 鞆の浦 (到着)
15:55 鞆の浦 鞆鉄バス 福山駅行
16:25
16:47
福山 山陽本線 快速サンライナー 岡山行
17:35
17:42
岡山 宇野線・本四備讃線・予讃線 快速マリンライナー 高松行
18:41 高松 (到着)

当日の流れ

高松1泊、松山3泊の夏合宿の初日です。22:30集合でしたが、21:40に品川に行ってみました。まずは新幹線の姫路〜岡山間を購入。ここでみどりの窓口で「姫路までの切符見せて」などと言われ、18きっぷを出す。今まで何度か品川駅で翌日の山陽新幹線の切符を買いましたが、こんなことを言われたことはなかったので意味が分からなかったです。

ということで買い物をして集合時間になり、23:18品川発の快速MLながら乗車です。毎度おなじみ183系。隣はおっさんでした。夜は景色が見えないので1時過ぎに寝て、4時半ぐらいに起きました。名古屋の直前で名鉄百貨店、明治村の広告、JRセントラルタワーズなどが見えてくるいつもの光景に出合います。これが見えると、夜のうちに移動していた実感がわきます。

そうして今まで5分でしたが、ダイヤ改正で3分になった大垣ダッシュ後、米原を越し、播州赤穂行の新快速で姫路まで行きます。今までは姫路行だったので、播州赤穂行は今回が初めてだったような。姫路到着の時、ある同行者以外と私たちが離れた席にいたために、寝ていた某氏が放置され、合流は大変ということで分離しました。


こうして、9:13姫路発のひかりで岡山まで行き、レールスターとさくらを撮影しているとある同行者が消えていました。電話すると、18きっぷをなくしたので窓口にいるとのこと。窓口と話をつけて連絡先を置いて進むことに。

こうして9:57のサンライナーに乗り遅れたため、10:10発の普通三原行に乗り、11:11に福山駅着です。トラブルが2回有った割には、24分遅れで済みました。福山は予想以上の大きい駅でした。開発も進んでおり数年後にはまた違った風景になっているのでしょう。

こうして11:30発の鞆鉄バスで鞆の浦へ進みます。車内からは芦田川が見えるのですが、なかなかきれいなものです。後で知りましたが、この辺りは心霊スポットの近くだったとか。

以前の鞆の浦は、福山から入るのに山越えの道を使う手しかなかったようですが、埋め立てにより海岸沿いの道から入れるようになったようで、そのとおりバスは山を回避して海岸沿いを進みました。沿道の家々には「早く埋め立ててバイパスを掛けろ」「住民主体の道路行政を」のような旗が立ち並んでいる。観光業者以外の住民には景観をつぶして暮らしやすい街にしたい人も割といるのでしょう。これが町並み保存に関わる一番の問題です。

こうして12時に鞆の浦につきました。バス停は観光案内センターや魚屋のあるところにあります。まず仙酔島の大きさと中部の山の高さに驚きます。春の文化祭で鞆の浦の地形図を作りましたが山の高さを間違えていたことに気づきますが、誰からも文句を言われなかったので良しとしましょう。とはいえ、山が張り出しているのとその形は地形図の通りでした。

まずは地図を手に入れ、坂本竜馬の泊まった宿を見学です。
今年開館したらしく、竜馬コスのおっさんが解説しています。ほとんどの部屋は普通の和室ですが、隠し部屋だけは特殊でした。竜馬が使ってから現代まで放置された部屋らしく当時の雰囲気が完全に残っています。竜馬の使った机があったり、壁紙が古文書(取引を書いたもの)だったりと面白かったです。隠し部屋の脇には穴が有り、解説員曰く「どこに繋がっているか未調査」らしいです。近年まで個人宅だったからしょうがないですが。

次に福禅寺へ。ここの対潮楼は朝鮮通信使が「朝鮮より東では一番美しい」といった景色が見られます。確かに景色は良かったかと。しかし、埋め立てによって沿岸の岩場が無くなっているので、大騒ぎするほど綺麗ではないと思いました。ここは夏至の日にこの窓から光が入る〜みたいな細工が有りました。また、なぜか帝国陸軍砲兵の望遠鏡もありました。

今度は大可島城跡へ。南北朝時代の古戦場でもあり、村上水軍の拠点でもあります。今は円福寺が建っていますが、見どころは無いです。異常に猫が多かったとしか記憶にありません。

次に防波堤に出てみました。ここから港が一望できます。以前は、沿岸に蔵が立ち並ぶという珍しい景色のところでしたが、今はそうでもないです。しかし山が迫り出していて家が密集している、という地形を見るのは面白いと思います。ちなみに、ここからは「生活権優先」とかいう住民の横断幕も見られます。

これでやっと港へ出ました。常夜灯は予想より大きかったです。古い港町らしいところですね。まずは、坂本竜馬の資料館に。といっても内容の多くは竜馬が鞆の浦に来るきっかけとなった、「いろは丸沈没事件」(海援隊の船が紀州藩の船にぶつかって沈没)関連なので知らないことが多くそこそこ面白かったです。このいろは丸ですが、近年日本テレビの協力で多くの積荷を回収されました。

次に、幕末には七卿落ちで公家が来た太田家住宅へ。ここは以前漢方薬屋をやっていた商人の家です。解説員がついていたのでいろいろわかりました。ここでは海が近いので、かまどに窓から海風が吹き込むため、わざわざ吹く必要が無いらしいのです。

そうして資料館へ向かいます。山の上の城跡に資料館があったわけで、内容は昔行われていた漁法や今も続く祭りなどいろいろです。ここは長居したわけでもなく、沼名前神社へ行きました。
沼名前神社は、伏見城から移築された能舞台が見どころです。ある同行者が能に詳しかったので舞台の仕組みを聞きました。ある舞台だけのために設置されている仕掛けなんてものがあるようで。そして、山中鹿之助首塚を見つつ、15:55のバスで福山に帰ります。

16:25に福山駅に着き、16:47のサンライナーで岡山に17:35につきました。予定ではここから後楽園に行くはずでしたが時間が明らかに足りないのでやめにして、17:42のマリンライナーで高松へ向かうことにしました。


この時間のマリンライナーは当然かなり混んでいます。通勤通学で島を越える、というのは知識としてはあっても、東京だと普通のことではないので驚きました。マリンライナーは最初こそ陸を走りますが、すぐに瀬戸大橋に入りました。瀬戸大橋内では、左右が柱なので景色がそこまで良くないことにご注意を。とはいえ外は見えるので、島々がきれいでした。橋を降りると、坂出の三菱化学の工場が見えました。先端から炎を出す煙突(油田にあるような)や、LNGタンカーのようなものが見えました。そんなわけで、18:41高松着で夕食を取りホテルへ行きました。


20:00からミーティングなので一旦ホテルに居ましたが、その後に再度出かけました。まずは高松駅に行きます。とりあえず明日の分の特急「いしづち」の、多度津〜松山の乗車券・自由席特急券を購入します。当然学割使用です。次に、構内に18きっぷで入ります。今回は色々撮影しようと思いました。


写真左はキハ185の特急うずしお(左)と、121系の普通多度津行(右)。写真右は上り・下りの5000系マリンライナー。左は入線する高松行、右は岡山行。


写真左は出発を待つサンライズ瀬戸。初めて見るのが東京ではなく、高松になるとは思いもしませんでした。写真右は7000系とサンライズ瀬戸。中央にはアンパンマンのごみ箱が有りますね。四国はアンパンマンが大量にいました。

そして高松駅を出て、琴電の高松築港駅に行き、irucaを買いました。その名の通りイルカがえがかれたicカードです。学生なのに、無記名で一般用を頼んだら怪しまれました。結局琴電には乗らず、自販機で130円使ったのみなので今も残額が有ります。