2011/7/23 四国旅行2日目 脇町南町

概要

行き先 徳島県美馬市 脇町南町
目的 うだつの町の見学
同行者 無し
鉄道乗車距離 349.9q

発着時刻 駅名 行先
05:39 高松 高徳線 普通 徳島行
07:49
08:10
徳島 徳島線 普通 穴吹行
09:28 穴吹 (到着)
13:00 穴吹 徳島線 普通 阿波池田行
13:36
13:42
土讃線 普通 多度津行
14:44
15:23
多度津 予讃線 特急いしづち 松山行
17:24 松山 (到着)

当日の流れ

徳島県の真ん中のあたりにある、脇町南町に行くことにしました。うだつの町として有名です。高松に宿泊していたので土讃線で佃まで行き、そこから徳島線に乗るのが最短ルートですが、今回は高徳線と徳島線に乗っておこうと思ったので徳島を経由する大回りルートで向かいました。


5:39の高徳線ですが、ホテルを5時に出発します。まずは何をしに行くわけでもなく朝の高松港へ。小豆島行のフェリーが1隻泊まっているだけでした。夏ですからもうそこそこ明るく、空が赤い部分と青い部分のあるような状態です。


そうして高松駅に行き、5:39発高徳線徳島行に乗車です。1500系の1両編成な上に、がらがらでした。そうして徳島に7:49着です。改札外に出て徳島駅の写真を撮りました。時間のせいかもしれませんが、すごい量のタクシーが駐車してあり驚きました。また、後藤田正純の選挙ポスターも。

さて、別ホームの鳴門線を見て、8:10発徳島線穴吹行に乗りました。徳島線は吉野川沿いを走っていきます。そのため、ここの景色は随分と綺麗なものです。

こうして、9:28に目的地の穴吹駅へ着きました。しかしここで落とし穴。ネットで「穴吹駅 コインロッカー ---」とあったので、「コインロッカーあり、特記事項無し」と誤解していたのです。つまり、ここにコインロッカーがあると思っていたが実はなかったのです。4泊分の衣服にPCも入ったキャリーバッグをで持って歩くことに。まあ、春日山城にこれを持って上ったことはあるので無理ではないです。

寂れた駅前の案内板を見ると、「脇町 3.8q 7分」とあります。つまり、歩くことは想定されていないのです。バスもろくに走っていないので歩きます。


まずは、吉野川を橋で横断しますが、これが異常に長い。ここを渡るのに5分はかかりました。とはいえ、橋の上からは景色が良いのでこの後に比べれば良い方です。その後は何もない河川敷の歩道をひたすら歩きますが、川は林の向こうなので景色も良くないのです。ひたすら歩きます。

そんなことで30分経過です。漆喰壁に瓦屋根の外見の巨大な建物を遠くに発見。ついに資料館かと思い近づくと、ショッピングセンターでした。商業施設も町並み保存に協力しているわけでから、素晴らしいことです。

そのすぐ向こうに脇町はありました。炎天下、キャリーを引いて片道35分。ちょうど団体客と入れ違いだったのでよかったです。


まずは端から1軒1軒見ていきますが、やはりうだつがここの特色です。うだつと言ってもすべて同じではなく、大小や形状などいろいろ異なります。ここでは空気を読まずに立っている近代建築は非常に少なく、舗装もそれらしくなっており、見学する価値のある地域となっていました。

次に途中の無料の資料館へ入ります。入口に数年前の水戸黄門のポスターがあったが、どうやらこの町が来た設定だったらしい。中の展示は古いものを置いただけで大したことなく、極めつけは「?(うだつ)と税という2つの漢字は似ている」とかいうどうでもいい情報でした。ただ、各建物の修理前と修理後の写真を並べているのは唯一良かったです。

ここを出ると、やくざみたいな関西弁の中年のおっさんに、どこから来たんだ、と声を掛けられました。実はやくざではなく、大阪からの夫婦の善良な観光客でした。とはいえあの容貌は…。

さらに進み別の資料館へ。600円とられましたが、広いうえに説明も充実です。時間もあったのでしばし休憩しました。また、ここには1枚の大きくきれいな絵がありました。しかし、最後に端に書いた説明文で漢字を間違え、そこだけ黒く塗りつぶした残念な作品でした。ここを出ますと、さっきの大阪のおっさんにかき氷をおごってやるといわれるが時間的に遠慮。


うだつの構造を実物を使って解説しているもの(写真左)が有りました。しかし、資料館ではなく人が来なさそうな、倉庫のような建物の中に置いてあったのは謎です。また、本通りからではなく裏から見ると修理中の家(写真右)もいくつか。

そうして重伝建地区を抜け、オデオン座へ着きました。昔は劇場、そして映画館に改装され、近年に劇場として保存されることが決まったそうです。こういう業種の建物はほとんどが解体されてしまい、貴重なのです。内部は明治村の劇場とほぼ同じなので、そんなには見ていません。

電車の都合上時間を多めに取っており、この時点で時間がかなり余っていました。ということでデイリーマート穴吹店に、商品調査のためにキャリーを引いて入りました。商品は徳島産初め西日本産ばかりで、東日本産の野菜や肉はパッと見ではありませんでした。また、弁当売り場の半分がうどんというのも四国らしい。ここで昼食のうどんと、淡路島牛乳(小さいパックで38円)を買って駅へ歩く。

その後も暑い中歩き、疲れていると車が近づいてきて、おばさんにどこまで行くのか聞かれ、駅というと載せてってくれました。ありがたいですね。結局駅で長く待ったとはいえ。


13:00の徳島線に乗り、その後は佃、多度津(時間が有ったので外を見てみましたが何もないですね)と経由し、15:23多度津発の松山までいしづちで行きます。特急の速さは凄まじいものです。
写真右は土讃線多度津行。JR四国1000形ですね。そこら中で見ました。写真左は、キハ185系の特急剣山。アンパンマンがヘッドマークに。


今回乗った特急いしづち(写真左)。このデザインはあまり好きではありません。
徳島線内で謎の求人(写真右)を見つけました。よく見たら自衛隊。

さて、17:24に松山につきました。駅前に伊予鉄の路面電車が走っていました。ちなみに、松山ではJR松山駅より伊予鉄松山市駅の方利用者が多いとか。


20:00のミーティングまで時間が有るので道後温泉へ。本館の外を見て、からくり時計(写真左)の動きを見て帰ることに。伊佐爾波神社などは時間的にあきらめました。さて、道後温泉駅(写真右)から伊予鉄の路面電車で帰るのですが路面電車を乗り間違えギリギリに到着。長崎と広島に続き乗り間違えは3都市目。


伊予鉄の車両を紹介しておきます。まずは、写真左の最も古い伊予鉄モハ50形から。1951〜1956に製造されたものですが、38両中23両はモハ50です。床は木材でした。
次はモハ2000形です。もともとは1964年から製造された京都市電2000形でしたが、1977年に京都市電での運用が終了し5両は伊予鉄に譲渡され、今でも5両すべて現役です。偶然ですが、私が乗ったのはこれが一番多かったような。

こちらはモハ2100形。旧型車の置き換えとバリアフリー化のために2002年から導入されました。前の2種と比べて製造年が40年ほど違いますね。モハ50・モハ2000のデザインとモハ2100のデザインでは時代の経過を感じます。