2011/5/3 富士吉田、河口湖

概要

日時 2011/5/3 09:00〜15:45
行き先 山梨県富士吉田市
目的 下吉田の商店街、富士急未乗区間乗車、浅間神社関連
同行者 無し
鉄道乗車距離 8.5q


発着時刻 駅名 行先
09:05 天狗社 富士急バス 富士吉田駅行
09:28 富士吉田駅 (到着)
11:32 下吉田 富士急行 富士登山電車1号 河口湖行
11:45 河口湖 (到着)
12:21 河口湖 富士急行 普通 大月行
12:29 富士吉田 (到着)
15:21 浅間神社前 富士急バス 内野行
15:40位 上村中央 (到着)

当日の流れ

9:05に忍野村の天狗社バス停から、富士急バス富士吉田駅行に乗車します。誰も乗っていませんでしたし、結局最後まで他の客は乗ってきませんでした。地方の路線バスは観光地でもない限り学生メインですからね…。バスは9:28に富士吉田駅バス停に到着しました。富士吉田駅と言えば、今年7月に富士山駅に改称されましたね。富士吉田の方がいいと思いますが、観光客誘致の点ではこの方が優れているんでしょう。

まずは月江寺界隈のの商店街に行きます。この辺り、昔はは絹織物や進駐軍相手の商売で栄えたようですが今はすっかり寂れてしまったようです。そのため昭和30年代の商店街がそのままになっており、映画のロケ地になってから知名度が上がり観光名所にしようともしてるとか。

さて、ここへ歩いて向かいます。月江寺界隈の最寄駅は富士吉田駅の隣の月江寺駅ですが、1qと少しと言う近い距離なので歩きました。駅から少し歩くと、早速商店街になりました。車は割と通りますが、人通りはほとんどありません。店も廃業していそうなものも割とあります。地方の駅の近くの商店街、というイメージに近いですが違う点は建物が古い点です。看板建築系統のものの割合が高いですね。見た目は木材ではなく、金属と石・コンクリのものが多い通りです。
 右手のわき道にはこんな酒屋が。ずいぶん立派です。建物の前には説明版が立っていましたが内容は覚えていません。また、この写真だとよく見えませんが、正面に「電話 三一六番」とありました。時代を感じます。

さて、月江寺界隈に到着します。今まで富士吉田駅から歩いてきたルートを途中で左折すると月江寺駅につながる1車線の寂しい商店街(駅前名店街)になります。この日は多くの店が閉まっていて人通りもほとんどなく、何十年も前に流行ったような洋楽が流れていました。

通りの入り口付近にあるのが、カフェ「月光」(写真左)です。昭和に此処へ移築された、大正期の建物を改装してカフェにしたそうです。
商店街から脇へ入る道は、右の写真のような感じです。横丁らしい横丁です。奥には居酒屋とスナックが見えます。絹織物や進駐軍で栄えたころは、郡内随一の歓楽街だったとか。その名残で今も飲食店が多いです。(やってなさそうなところもありましたが。)

こちらは月の江書店。月江寺だけに、月の江です。外見こそ、特に看板が古いですが、今でも普通に営業していました。中はきれいな感じです。
月江寺界隈についてネットで調べると大抵ここが出てきます。多くの訪問者は昔懐かしい、と書かれてますがしかし私は、こういう雰囲気の建物は、単体では東京でもそこら辺にあると思うんですがね。このようなものが面として残っていることに価値が有るのでしょう。


 写真右は入母屋造の内科医院です。もともとは料亭として建築されたものですが、後に病院に転用されたとか。
写真左は旧下吉田役場。昭和26年に上吉田、下吉田、明見の3町で合併して富士吉田市になりましたが、それまであった下吉田町が大正期まで役場としてこれを使っていて、後に図書館になったそうです。綺麗な建物ですがろくに整備はされておらず扉にはいたが打ちつけられ窓は一部われています。内部は少し見えましたが、机など雑多なものが置かれていました。文化的価値はありますが、観光面の費用対効果は少なそうなので整備されそうにありません。
この辺りは小さな川が流れていました。どうやら富士川水系のようで、相模湾まで続いています。コンクリ護岸の普通の小川ですが水はかなりきれいに見えます。

この辺りは古い建物が非常に多かったですが、空き家もちらほら見かけられ状態の酷い廃墟も数件有りました。一番ひどく見えたのがこの写真の建物です。木造2階建てですが、2階の一部は壁が無い上に床が抜けていました。トタンの壁には駐車場であることを示す看板が貼ってあり車があるのですが建物はひどいものです。火災やら犯罪が起きそうなので解体した方が良いように思えます。


さて、月江寺界隈や周辺は見終わったので小室浅間神社へ行きます。あまり遠くはありませんでした。山梨の富士浅間神社、と言って有名なのは同じく富士吉田の北口本宮富士浅間神社ですが、これは別物で、1467年に坂上田村麻呂が戦勝祈願をし、後に勝利し返ってきたときに社殿を創建したそうです。富士浅間神社に比べれば小さな神社です。ここは流鏑馬の伝統があるため白馬がいる、と言う特徴もありますが最も大きな特徴は境内に富士山の溶岩(写真右)が、当時流れてきた位置にそのまま残っていることでしょう。現在の拝殿のすぐ近くまで溶岩の山になっています。以前はそこら中にあったようですが、開発によってほとんどは壊されてしまい、現在残っているのはここだけだ、と神社の公式サイトに書いてあります。また、境内には大塔宮護良親王が埋葬されている、という伝説のある一角が有りました。縁結びによろしいそうです。

そんなわけで、神社を出て下吉田駅に行きました。やけにロータリーの広い駅ですが、車はあまりいませんでした。この駅は昭和25年に当時の名古屋駅を模して造られたもので、2009年にリニューアル工事で一部塗装色の変更などが有ったものの当時の雰囲気を強く残しています。シンプルな外見ですが内部は2009年のタイル敷きの広々とした待合室で、高い天井が特徴的です。


 この駅に展示されているのが、2010年秋に富士急がJR東日本から譲渡され内部も公開されている、スハネフ14 20です。ヘッドマークは特急富士、行先表示は西鹿児島になっています。富士急は、富士山がバックの駅に特急富士の客車を置きたかったようです。しかし、この客車自体は特急富士に使われたことはなく(当然同型車は使われていましたが)特急北陸などに使われていたものです。この客車は内部に入れるわけですが、内部に展示などはなく、寝具はありませんが現役当時のB寝台のままになっています。また、静態保存と言う形ですが、本来の雰囲気を出すということで照明や冷房は客車のエンジンで動かしているそうです。そのため作動音がします。

この隣にはワフ1、ワフ2、ト104という3代の貨車が有りました。どれも昭和1ケタ台から活躍した貨車で、ワフは中に入ることもできます。当時の再現、ということで少し荷物が積んでありました。中々良い施設を作ったと思います。(ですが置いてあるだけでは観光客はそんなに来ないでしょう…。)

さて、ここから11:32発の快速富士登山電車河口湖行に乗ります。
今回乗った車両は富士急主力車両の1000系(元は京王5000系)を改造したモハ1205ですが、中央ドアを撤去し窓を設置、木材を多用した車内、ゆとりのあるシート(それもシート柄が席によって違う)、豊富な車内販売、特産物の展示、本棚、観光アナウンスなど観光客特化型の電車になっています。今回もほぼ満席でした。富士登山列車にはモハ1205の「赤富士」とモハ1305の「青富士」があるそうです。ちなみに、快速ですが着席整理券200円を払う必要が有ります。
このように大改造されていますが、1000系の改造車であるわけですので運転台は写真のような、マスコンとブレーキの両手操作の古い仕様のものになっています。今はワンハンドルが多いですからね。京浜急行1000形を思い出しました。


 さて、河口湖駅に11:45着です。大月〜富士吉田はすでに乗ったことが有るのでこれで富士急は全部乗ったことになります。ここは観光地だけあってお洒落な駅舎になっています。関東の名駅100選だとか。平成19年に駅内の売店などをかなり整備したようです。売店のほかにも飲食スペースや大型オルゴールなど設備が充実していました。
駅前にはバスターミナルが有り、「新宿行〇〇分遅れの発車となります〜」などアナウンスがかかることが多かったです。
さて、駅前に静態保存されているモ1号電車(写真右)を見に行きます。この電車、1929年の富士山麓電気鉄道(富士急の前身)開業時に使用された電車とのこと。レールは1897年カーネギー製と、さらに古いものです。
モ1号、いかにもな昭和前期の電車ですね。こうしてみると、ほぼ同時期製造の、阪堺電車601形が未だ定期運用車であることに驚きを感じます。中には入れませんが、外からでも十分楽しめます。
<モ1号> 形式:モ1 製造年:1929年(昭和4年) 種別:半鋼製2軸ボギー制御電動客車(両運転台式) 最大寸法:長さ15,240mm 幅2,725mm 高さ4,092mm 車体寸法:長さ14,426mm 幅2,600mm 自重:34t 定員:102人(座席50人) 制御装置:電気電磁弁式直列総括制御(HL) 制動装置:空気ブレーキ・電気ブレーキ・手ブレーキ 電動機:93.25kw×4個 歯車比:3.88


 さて、河口湖に他の用は無いのでさっさと帰ります。12:21の普通大月行で、12:29富士吉田着(写真右、富士急1000形)です。富士吉田駅は7月に富士山駅に改称されたため、これが見納めとなりました。駅内では、そこら中に改名のお知らせが貼ってありました。富士吉田の方が好きですけどね…。


富士吉田駅には、フジサン特急が停車していました。富士急2000形、つまり国鉄165系電車ですね。写真右はクロ2000形、先頭車がパノラマ車に改造されており165系の面影はありません。写真左はクモロ2200系です。ライトは改造されていますが、165系の面影は色濃く残っているように見えます。(165なんて生で見たことないですが)


 さて、今度は富士浅間大社関連を見ます。今回も駅から歩きました。浅間大社方面へ進むとまず目に入るのは金鳥居です。その名の通り金属の大きな鳥居。この鳥居をくぐると浅間神社の参道になります。昔は富士山を信仰する人々が富士登山をするのに、彼らを宿泊させる御師たちの家が栄えたところですが、今では信仰を持ち登山に来る人は非常に少なくなったため、数件しか残っていません。民宿になった家もあれば、今回見学した旧外川家のように資料館になった所もあります。この外川家は6月に重文として告示されましたので、私が訪ねた5月はその少し前でした。
GWにも関わらず見学者はろくに居ませんでした。そのため職員の男性にほぼ付きっ切りでガイドしてもらいました。ただの建物なら少しは分かりますが、宗教関係の話はほぼわからないのでありがたいです。御師の家は、旅館と祈祷所が合体したようなものでした。展示物は富士山信仰関連の宗教画や版木が多いです。御師の服もありました。
富士山の世界遺産登録を目指す山梨県としては、富士山関係のものを文化財指定してほしいらしく、今回の御師の家(富士山信仰)の文化財指定に続き富士五湖の文化財指定も目指しているようです。

ここで結構時間を使いましたが、次は北口本宮富士浅間神社へ行きます。こちらはそこそこ人がいます。入口から本殿へ向かう背の高い並木道が印象的でした。ずいぶん立派な社殿でしたが、1615年に建てられたものだそうです。
ここを見ていたら、ついに雨が降り出しました。ここは一度見たことが有りましたし、さっさと帰ることにしました。そして、15:21の富士急バスに乗り忍野村方面に戻り終了です。一日で色々周った気がします。