2012/7/27 九州旅行5日目 的山大島
概要
行き先 | 長崎県平戸市 的山大島神浦集落 |
目的 | 重伝建訪問、松浦鉄道完乗 |
同行者 | なし |
鉄道乗車距離 | 307.2q |
発着時刻 | 駅名 | 行先 |
---|---|---|
05:15 | 博多 | 鹿児島本線 普通 大牟田行 |
05:58 06:09 |
鳥栖 | 長崎本線 長崎行 |
07:26 08:01 |
肥前山口 | 佐世保線 佐世保行 |
08:01 08:10 |
有田 | 松浦鉄道 普通 伊万里行 |
08:35 08:43 |
伊万里 | 松浦鉄道 普通 佐世保行 |
09:46 | たびら平戸口 | 徒歩 |
09:59 | 平戸口桟橋 | 西肥自動車 平戸桟橋行 |
10:11 10:20 |
平戸桟橋 | 第二フェリー大島 的山行 |
11:05 11:10 |
的山 | 大島バス 神浦行 |
11:26 | 神浦 | (到着) |
13:14 | 神浦 | 大島バス 的山行 |
13:40 14:00 |
的山 | 第二フェリー大島 |
14:45 15:00 |
平戸桟橋 | 西肥自動車 佐世保行 |
15:12 | 平戸口桟橋 | 徒歩 |
15:47 | たびら平戸口 | 松浦鉄道 佐世保行 |
17:07 17:14 |
佐世保 | 佐世保線・鳥栖千 普通 鳥栖行 |
19:16 19:18 |
鳥栖 | 鹿児島本線 快速 門司港行 |
19:45 | 博多 | (到着) |
当日の流れ
的山と書いて「あづち」と読む。平戸の北にある、人口1200の小島である。釣り場としてアングラーには有名らしいが、重伝建になった神浦集落と。棚田100選の風景を見に行った。
5:15の始電で出発しないと間に合わないという遠隔地なので、同行者が来なかったが置いていった。延々と乗り継ぎ、有田から松浦鉄道に乗った。2000円の1日乗車券を買ったが、1回真ん中あたりで途中下車すれば元を取れるという優しい仕様であった。天竜浜名湖鉄道は2回以上降りないと元を取れない仕様だったはず。
松浦半島の海沿いを走る車両は、ついにたびら平戸口駅に着いた。自称日本最西端の駅である。というのも、沖縄のゆいレール開業で、日本最西端の駅の座は確かに奪われてしまったのである。しかし、ゆいレールはモノレールである。法律上、モノレールや路面電車は鉄道ではなく軌道である。それを考えると、ここは日本最先端の鉄道駅である。
駅から10分歩き、平戸口桟橋バス停に向かった。しかし途中でゲリラ豪雨に遭い、割と濡れた。バス停に着くとおっさんが「今雨降ってた?」というようなことを聞いてきたので答えると、「この地方のこの時間は良くあること」と言われた。しかし、おっさんは訛りが強く7割くらいしか聞き取れなかったので、違うことを言っていたのかもしれない。(長崎の方言独自の語彙だけでなく、母音の大きな変化もあるので標準語とかなり違う。)そして、バスで平戸桟橋に向かった。平戸口駅は九州島にあるが、平戸市街は平戸島にある。フェリーもこちらから出るので、バスは橋で島に渡った。
平戸桟橋からは640円払って市営フェリーに乗った。乗客は殆ど高齢者であった。また、ガソリン輸送車や食料か雑貨を輸送しているトラックも乗ってきた。離島らしい光景である。船からは多くの離島が見えた。
50分でフェリーは大島(地元民は大島と呼ぶ)に着いた。小さい乗り場であった。壁には、「大島ではガソリンが値引きされています」という張り紙があった。輸送費に相当する10円が税金で値引きされているらしい。離島振興策の1つだろう。自販機の飲み物は本土と同じ価格だったが、補助金は出ているという聞いたことがない。
ここからはコミュニティバスに乗った。フェリーの乗客は40人近く居たのだろうが、バスに乗ったのは部員+3人くらいであった。みな自家用車を駐車していたようだ。このバスのルートは100m直線が続くというような区間がほぼなかった。山を蛇行しながらひたすら上り下りするのである。山が海岸近くまで張り出しているので、トンネル工事は難しい上にコスパが悪すぎるのだろう。しかし、長い間車窓を見られるという点で観光客には優しい仕様である。海が見え、山の斜面は棚田におおいつくされているきれいな島である。途中で大根坂集落に寄ったが、ここで地元民が降りた。車はUターンし、来た道を途中まで引き返し神浦集落に着き、農協の前で降ろされた。
近くに神社があり、高台だったのでとりあえず行ってみた。少し変わった鳥居があり、説明には「非常に古い形式」とあった。神社には特に何もなかった。
ここからはひたすら徘徊する。集落は道が蛇行していて、家も蛇行していた。また、平地が僅かなので家と家の隙間が本当に無かった。また、集落の寺のお札を貼っている家が非常に多い。気になったのは、表札を出していない家が多いことだ。空き家が非常に多いことが最大に理由だろうが、明らかに人が住んでいるのに表札が無い家もあった。謎。表札が出ている家を見ると、名字はバラバラだった。大浦家が3軒ほどあったが、他では一般的な名字が多種あった。結局、徘徊中に有った地元民は老女2人である。1人は向こうから挨拶してきて、もう1人はこちらから挨拶すると応答した。明らかに観光地ではないが、排他的では無いようだ。
住宅密集地を抜け、港に出た。ここも1日3便ほどフェリーが有るので、先程の的山港よりさらに小さい乗り場が有った。また、観光案内所が新築中だった。今までの農漁業に加え観光業を行わないと、島から人が消えるとついに分かったのだろうか。
ここから歩いて、市役所の支所に出た。大島村時代の役場であり、「村制100年」という大きな石碑が有った。地図も大島村時代の物だった。資料館に入るために来たのだが、「入館希望者は教育委員会事務室まで」と有ったので、支所兼離島振興センターに入った。平日ながら人影が無かった。教育委員会事務室も暗かったが、よく見るとおっさんが居た。資料館に案内してもらい、中に入った。1室のみの小規模なものだが、捕鯨の歴史、農業の歴史、古文書など色々置いてあった。おっさんはずっと近くにいたので、いろいろ質問した。
Q「人口は?」A「現在1200を切ったが、最盛期は6000」
Q「今も島民の殆どは農漁業従事者?」A「ほとんどそう」
Q「農業用水は?」A「大きな川が無いので、ため池とダム。」
Q「隠れキリシタンは?」「隣の生月島はキリシタンが今もいるが、ここは寺が多いせいもあり居ない」
ここを見終わっても1時間有ったので、山の方へ歩いていった。棚田が有ったが、石積みであった。
集落を一望できるところまで上ったところで、謎の細い道が脇に出現した。Google mapによると、先程の集落に通じているらしいので歩いてみた。棚田の隙間をまっすぐ降りていく、幅2m程度の小路である。途中で小学生とすれ違った。結局、この小路は港まで続いており、そこからバス停のある農協へと向かった。
農協は寂れていたが、小さな自販機が一応有った。しかし、取り出し口が錆びている上に、商品が置かれていないボタンが多数あった。また、よく見ると大方の商品は売り切れで、買えるのは茶、ポカリ、リンゴジュース、ミカンジュース、野菜ジュース程度だった。まず、同行者が野菜ジュースか何かを買おうとボタンを押したが、なぜか出てこなかった。妥協してポカリを買うと、サンプルとして置いてあるものより小さい容量のものが出てきた。どうみても詐欺。私はお茶を買ったが、それは普通に出てきた。大野はあきらめきれなかったらしく、もう一度チャレンジした。しかし出てこなかった。そこで、隣のなにも陳列されていないボタンを試しに押すと、なぜかお茶が出てきた。詐欺。
そんなことで待っていると、予定より早くバス来た。そして予定より早く出発してしまった。大丈夫なんだろうか。山越えの最中にフェリーが島に向かってくるのが見えて、バスが到着して10分後くらいにフェリーは入港してきた。
さて、我々は帰りのフェリーへと進んだ。桟橋に出て、船内に入り階段を上がる。そして船室に入ると、見たことのあるような中学生が寝ていた。朝置いてきた同行予定者にしか見えなかった。あまりにも驚いたので、「これ本物?」と言った。すると彼は起きた。本物だった。寝坊して遅い時間に出発し、特急で佐世保まで行きそこから平戸行のバスに乗り自力でここまで来たらしい。今の時間から島を観光すると博多着が22時以降になってしまうことを伝えると、彼は鬱になっていた。出発まで10分くらいあったので上陸はできたが、やる気を失っていた。
その後は同じようにたびら平戸口まで行った。途中バス停でおばあさんと「どこまで行くの?」「平戸口駅です」「佐世保じゃなく?」というやり取りが有った。松浦鉄道はバスに完全に負けているようだ。
たびら平戸口駅には小さな鉄道博物館があった。「さようなら松浦線」のヘッドマークやタブレット交換の設備など古いものが並べてあった。
こうして7時45分に博多に着いた。ギリギリ。
そういえばこの日も寝なかった。今回ホテルのベッドを一日も使わなかったのだが。徹夜で信長の野望天下創世をやっていた。上級・1570年スタートの徳川でプレイしたが、信長が浅井&朝倉を攻めた時に負けて、その後朝倉に潰された。畿内は朝倉と本願寺が制圧して、西園寺が一時的に四国を制圧した。信長は上杉家の家臣になったようだ。武田は信玄死後の木曽の謀反で城4つ中2つを奪われて、その後徳川で潰した。今までで一番の謎展開。そんなことで朝になり、オリンピックの開会式を途中まで見て、駅へ向かった。