2012/7/28 九州旅行6日目 神代

概要

行き先 長崎県雲仙市 神代小路
目的 重伝建訪問、島原鉄道完乗
同行者 なし
鉄道乗車距離 329.1q


発着時刻 駅名 行先
06:00 博多 鹿児島本線・長崎本線 特急 かもめ1号 長崎行
08:01
08:12
喜々津 長崎本線 普通 湯江行
08:58
09:21
諫早 島原鉄道 普通 島原外港行
10:02 神代町 (到着)
10:48 神代町 島原鉄道 普通 島原外港行
11:17 島原外港 (到着)
12:23 島原外港 島原鉄道 急行 諫早行
13:24
13:34
諫早 大村線 シーサイドライナー 佐世保行
14:30
14:33
早岐 佐世保線・長崎本線 普通 鳥栖行
16:16
16:35
鳥栖 鹿児島本線 快速 小倉行
18:23
18:40
小倉 送迎バス 新門司港行
19:00
19:50
新門司港 名門大洋フェリー 大阪港行

当日の流れ

九州には、知覧、出水、神代など石垣の塀を持つ武家屋敷群が現存している。これは本州では見られない景観であり、それを見るべく博多から近い神代へ行った。(本当は知覧の方が良いのだが熊本泊の日は肥薩線に行きたかったので)

とりあえず、かもめ1号で長崎へと向かった。寝坊した斉藤班と一緒になるかと思いきや、彼らは来なかった。まだ寝ていたようだ。車内では寝ていたので特筆することはない。「黒いかもめ」で、車両は綺麗だった。関係ないが、「赤いみどり」とはなんだったのか。

長崎に着き、旧線を走り喜々津へ行く普通列車に乗り換えた。トンネルだらけの新線に比べて旧線は遥かに景色が良い。海像の斜面に広がる棚田が見えた。九州では棚田を非常によく見た気がする。

そして諫早に着き、荷物を預け島原鉄道に乗り換えた。島原鉄道は、切符をJRの券売機の横の券売機で買うが、切符の裏が白かった。磁気が無い、自動改札非対応切符である。JRとホームを共用しているので、JRの有人改札を抜けてホームへ向かった。なぜかホーム入口に柵が有り、折り返しになる列車の降車客が降り切るまでホームに入れなかった。車内に入ると、「切符をお持ちの方も整理券をお取りください」というアナウンスが。何故だかよくわからない。きっぷに入場記録が入らないからだろうか。

この路線は島原半島の諫早湾沿いを走る。初めの方は干拓地が広がっていた。妙に広い平地が広がっているので、違和感がある。ここを抜けると、水門が有った。さらに行くと、干潟が多くなった。水門の内側の干潟は死んだが、こちらは生き残っている。

ついに神代町駅についた。駅舎は紫の直方体であった。重伝建の最寄駅なのだからもう少し凝ってほしいが、資金が無いのだろう。寂れている駅周辺を抜け、川に着いた。この駅は出口が1つで、武家屋敷街の方向へ行くのに大回りしなければならない。川沿いを歩くうちは、普通の住宅街という印象しかなかった。しかし、突然神代小路が現れた。そこの長い直線路に入ると、道の両脇は石垣を構えた木造住居の連続となる。この直線路及び付随する道が重伝建である。まず、雲仙市立の資料館が現れた。しかし、運がないことに休館日。よってひたすら徘徊した。直線路を進んでみたが、やはり他とは異なる特徴がいくつもあった。列挙すると、
・現存率が非常に高い:他の地域のような歯抜けではない。戦後築のような建物は数軒で、それらも空気を読んでいる。
・転用されていない:他であると、元の用途から観光客向け飲食店に転用されていることが多いが、こちらは現役の住宅。空き家も見かけられない。
・分割されていない:数家に分割可能な土地を持ちながら、自宅の土地は単独相続を守っている。全国的に「屋敷」は分割相続のせいで解体されているが、ここではそうなっていない。
・住居間にゆとりがある:宿場や商家町であるとみっちり連続しているが、こちらは庭付きの敷地内に本邸と蔵等が有る。
・畑がある:武家屋敷だが、兼業農家のような畑を持つ家も少なくない。


直線路を抜けると、普通の農村になった。農村に囲まれた武家屋敷である。その後もさらに徘徊し、駅へと帰った。

神代を見るだけでは時間が余るので、予定通り島原外港へと向かった。島原鉄道の終着駅である。以前はさらに先が有ったが、数年前に廃止された。全線の半分を一気に廃線にする大規模なもので、この駅も廃止されるはずが、地元の要望で生き残った。列車は海沿いを進む。

島原外港駅周辺は、パチンコ屋や車屋、飲食店が少しある程度だった。地方の道路沿い、という感じ。駅舎は運転士のたばこ不始末で数年前全焼し、今もプレハブである。駅の外を徘徊していると、「15分」の所に火山の博物館があると書いてあった。行ってみようかと思ったが、別の看板に「車で15分」とあった。田舎だと、観光客さえ車がデフォなのだった。そのためフェリーターミナルに行った。小規模な競艇場はあったが、行きはしなかった。そうして駅へ帰り、諫早に行った。

諫早では島原鉄道の運転士から「清算済証」を受け取り、JRの有人改札で渡して外に出た。この面倒なシステムはどうにかならんのか。ここからは大村線のシーサイドライナーで佐世保へ向かった。小島に加え、西彼杵半島が大村湾の対岸に見えた。長崎県の地理が分かる路線である。ハウステンボスも見える。早岐からは延々と乗り、小倉に着いた。小倉で明太子マヨネーズ(←これ凄く辛いから買わない方が良い)を買い、新門司港から大阪行の船に乗った。

今回の船室は貸切の20人部屋の中にひたすら2段ベッドが並べてあるものだった。入口のある壁と平行に2列に奥までならんでいるのだ。ミーティングをここでやったが、どこに誰がいるのかわからない妙なものだった。夕食はレストランで焼カレーを食べた。180円でおかわり自由の白飯を相当食べていた人も。

今回も橋は見ようという事で外にはたまに行った。行きと同じだが、やはり珍しい光景なので面白い。朝7時の明石海峡は寝ていたので見なかったが。