2012/3/27 北陸旅行4日目 善光寺

概要

行き先 松代大本営(象山地下壕)
目的 地下壕見学
同行者 3人
鉄道乗車距離 479.2km


発着時刻 駅名 行先
05:00 新潟 越後線 普通 吉田行
05:54
05:56
吉田 越後線 普通 柏崎行
07:08
07:25
直江津 信越本線 普通 長野行
09:53
10:09
長野 長野電鉄長野線 普通 信州中野行
10:35 須坂 長野電鉄屋代線 普通 屋代行
11:27 松代 (到着)
13:47 松代 長野電鉄屋代線 普通 須坂行
14:10
14:32
須坂 長野電鉄長野線 普通 長野行
14:57
15:16
長野 信越本線 普通 直江津行
16:55
17:31
直江津 信越本線 普通くびきの 新潟行
19:29 新潟 (到着)

当日の流れ

この日も4:40集合というハードな予定だったのである同行者が寝坊し、置いていった。まずは普通に長野まで行く。普通に、と言ったが5時間かかる。寝ていたが。 長野から須坂へ行き、ここからはあの屋代線で松代へ行く。屋代線は3月31日、つまり4日後に廃線となった。そのため葬式鉄が非常に多く、ラッシュの日比谷線のように混んでいた。幸運なことに私は先頭車両運転台後ろの窓の前を取れたので車窓が見えたが、何も見えない人が多かったようだ。

屋代まで完乗する人が多い中、松代で降りた。松代城(海津城)を拠点とする真田家の城下町であり、武家屋敷が多く残っていた。なお、10万石以上の藩の城下町で、維新後に市にならなかったのは松代だけらしい。案内板の設置など、観光への努力は見られるが、電車は無くなった。まあバスで用は足りるらしいが。

ここを15分ほど歩いていくと松代大本営に到着する。周囲は川と寺や民家があるのどかな地域である。中に入ろうとすると、地元の高校の教師がおり、説明して貰った。朝鮮人を強制徴用して作った負の遺産〜とか言うのかと思ったら、「長年研究してきた結果、朝鮮人は戦時中ながら肉を日常的に食べられるレベルの好待遇で一般労働者として働いており、逆に住民は土地を強制収容されるなど虐げられていた」と言っていた。地元ではいくつかの団体が調査や発表を行っているようだが、この教師の属する長野俊英高校はこの地下壕を「朝鮮人強制徴用の証拠で、日本人が反省しに行くべき場所」として捉えるのには反対しているようだ。逆に、隣にある資料館は完全にそれである。

坑内は工事途中のまま放置されたので、天皇が住むようなところではないように見える。岩肌もごつごつのままであるし、地面は石が大量に転がっている。その上岩にダイナマイトを入れる穴をあけるロッド(金属棒)が刺さったままになっているところもいくつかあった。ここは碁盤の目状になっているが、公開されているのは一本道の部分だけである。そのため左右にたくさんの道があるが、フェンスが張られている。光が見え、外につながっているものもあった。闇の中にトロッコのレール跡が続いているものもある。これらの奥は詳しい調査はなされていないようだ。また、朝鮮人の慰霊のために千羽鶴が置いてあり、そばにはどこかの高校が社会科見学で来た時においていった手紙?もあった。しかし、ここの調査を恒常的にしている、前述の長野俊英高校は千羽鶴の設置にも批判的らしい。

そのようにして見終わった。受付の人には少し離れたところの施設も勧められたが、明らかに時間が無いのでいかなかった。その後は、高いところにある近くの神社に行くだけで駅に戻った。駅前のマツヤというスーパーで海老カツ巻という変わったものを買った。当たり。

松代駅で列車を待つことに。色々なグッズを売っていたがスルーした。まずは切符を買うが、自動券売機が無いので1人の駅員が硬券を売っていた。その上この駅員は、自転車の貸し出しだか荷物の預かりもやっているので、かなり待たされた。応援は来なかったのだろうか。なお、この駅は1922年築であり、風格のある木造駅舎であった。珍しいことに、手荷物扱い用の小さい扉が有った。ここからは5時間40分かけて帰るのみ。