2012/3/16 北海道旅行1日目 陸奥縦断
概要
行き先 | 東北地方太平洋側 |
目的 | 北海道への到達過程 |
同行者 | なし |
鉄道乗車距離 | 746.2km |
発着時刻 | 駅名 | 行先 |
---|---|---|
04:33 | 品川 | 山手線 東京方面 |
04:51 05:10 |
上野 | 東北本線 普通 宇都宮行 |
06:51 06:56 |
宇都宮 | 東北本線 普通 黒磯行 |
07:47 07:54 |
黒磯 | 東北本線 普通 郡山行 |
09:01 09:27 |
郡山 | 東北本線 普通 福島行 |
10:14 11:00 |
福島 | 東北本線 快速シティラビット 仙台行 |
12:16 12:45 |
仙台 | 東北本線 普通 小牛田行 |
13:30 13:46 |
小牛田 | 東北本線 普通 一ノ関行 |
14:32 14:37 |
一ノ関 | 東北本線 普通 盛岡行 |
16:14 17:04 |
盛岡 | いわて銀河鉄道 普通 八戸行 |
18:51 19:17 |
八戸 | 青い森鉄道 普通 青森行 |
20:48 | 青森 | (到着) |
当日の流れ
我が校は文化祭が5月頭頃にある。そのため、高2で部活展示を指揮する身としては毎日作業に行かなければならないのだが、3日位欠席しても良いだろうという事で作業をスルーして旅行に出かけた。
今回は、雪の季節という事もあり、未踏の地北海道を目指すことに。はまなすは使っても、特急は使いたくないので、行先は留萌本線の終着駅の増毛とした。これは、終着駅が好きなのと、増毛にある木造の小学校の使用が当年度で終わってしまうので見に行ってみようと思ったことによる。
まずは始電で品川を出て、東北本線を北上していく。東北に行ったのは、中1の春に新潟から磐越西線で会津若松に入って宿泊したのと、中2の春に夜行バスで仙台に行き、そこから盛岡に行って宿泊した時である。そのため、東北本線での東北入りは今回が初めてとなった。宇都宮辺りで通学時間と重なったが、車内で高校生旅行者が地元の不良風学生に絡まれていたので怖かった。
そうして郡山に着いた。今回は東北の主要都市で数十分の乗り換え時間を作ったので、ここをはじめとして色々な都市を見た。駅前のバスターミナルや駅ビル内を徘徊したが、普通だった。ありがちな地方都市という感じである。デザイン性あふれる駅舎でもないので、先へと進んだ。
次に、福島へと着いた。駅前を徘徊すると、福島交通飯坂線と阿武隈急行の乗り場を見つけた。JRと比べて随分レトロな雰囲気だった。また、復興応援トラックマーケットというのもやっていたが、準備中だった。そして、朝食を調達して、シティラビットで先へと進んだ。
混んでいるシティラビットを降りて、仙台に着いた。2年ぶりである。仙台駅と言えば地震で屋根が崩壊したイメージだったが、もう完全に復旧し改札前の広いスペースは復興関連の東北物産展を開いていた。そのため、非常ににぎわっている。私はここで宮城県の名産品詰め合わせの弁当を買ったが、これが非常に良品だった。時間が余ったので、改札内に入った。運転見合わせ区間の表示や、通常時なら存在しない行先の列車の表示が色々とあり、海沿いはまだまだ復興していないことを実感した。
ここから更に北上する。途中、平泉を通った。私が平泉に行ったのは2010年春なのだが、当時はまだ世界遺産になっていなかったので、駅はありがちな地方駅であった。しかし、今や観光地が近くにありそうな立派な駅になっていた。余談だが、朝早かったのでレンタサイクルが開いていなかったので、気温マイナス7度の中を徒歩で見学した。
ようやく盛岡に着いた。2年前見た雪をかぶった岩手山が印象に残っているが、今回も同じ姿が見えた。割と好きな山である。ここでは時間が有ったので、本屋に行った。流石は盛岡の本屋で、岩手県のローカル新聞社や自治体が発行した震災関連の書籍やDVDの在庫が豊富だった。震災1年という事もあり、売り場の割と広い部分を占めていた。
ここからはIGRに乗る。仙台〜盛岡間でも雪は多少あったが、盛岡以北はそれと比べ物にならなかった。盛岡付近でも田畑は真白である。北に行くにつれて積雪は増え、最終的には線路の両側に雪の壁が有るような状態にもなった。というのも、この数日前に岩手・青森は大雪で、IGRや青い森鉄道は大幅運休していたのだ。大雪が続けば旅行予定を変えなければいけなかったので、雪がやんで良かった。
八戸から青い森鉄道の車両に乗り換えた。これがモーリーとの出会いである。この「青い森」そのままのキャラクターは実にかわいらしい。それは置いておいて、20:43に青森駅に着いた。多くの長いホームを有する終着駅の姿は往時の繁栄を偲ばせる。いや、この当時はまだ「日本海」が定期列車だったのでまだましだったのだが。この二日後、日本海は消えた。ホーム上には、青函連絡船乗り場への行先表示が消されぬまま残っていた。売店では過去の夜行列車のサボのレプリカを売っていた。店員も愛着があるんだろうか。
駅の外に出た。当然とても暗く、その上雪が大量に積もっていた。港に係留されている八甲田丸の方へ行くと、途中に雪に埋もれた自転車置き場が有った。冬は閉鎖されているので除雪されていないのだが、置きっぱなしの自転車が多く、皆埋まっていた。非常に不気味である。八甲田丸と橋を見て、駅に戻った。駅周辺を歩いたが、ミスドとイタリアン?くらいしか空いている店が無かった。(この時はファミマを発見できなかったのだ)
入線時間も近いので、駅に入った。ムーンライトながらの乗客と同じ雰囲気の人々が沢山入線を待っていた。なんとなく暗い雰囲気である。売店が22時に閉まるので、駅弁などを調達した。東北・北海道の駅弁は辺りが多い気がする。何を食べたかは忘れたが、味は良かった。こうして、はまなすへと向かった。