2012/7/29 九州旅行7日目 坂本
概要
行き先 | 滋賀県大津市坂本 |
目的 | 重伝建訪問 |
同行者 | 1人 |
鉄道乗車距離 | 588.9q |
発着時刻 | 駅名 | 行先 |
---|---|---|
08:20 08:42 |
フェリーターミナル | 大阪市営地下鉄 ニュートラム 住之江公園行 |
08:57 09:05 |
コスモスクエア | 大阪市営地下鉄 中央線 学研奈良登美ケ丘行 |
09:05 09:12 |
弁天町 | 大阪環状線 西九条方面 |
09:19 09:30 |
大阪 | 東海道本線 新快速 近江塩津行 |
09:58 10:11 |
京都 | 湖西線 近江今津行 |
10:28 | 比叡山坂本 | (到着) |
12:44 | 比叡山坂本 | 湖西線 新快速 播州赤穂行 |
12:58 13:00 |
京都 | 東海道本線 新快速 近江塩津行 |
13:53 13:59 |
米原 | 東海道本線 普通 大垣行 |
14:32 14:41 |
大垣 | 東海道本線 新快速 浜松行 |
16:42 16:51 |
浜松 | 東海道本線 普通 熱海行 |
19:36 19:41 |
熱海 | 東海道本線 普通 東京行 |
21:20 21:26 |
品川 | 京急本線 普通 金沢文庫行 |
21:29 | 新馬場 | (到着) |
当日の流れ
一応地歴部最後の行動日なのだが、坂本を数時間見ただけなので、これが最後の班というようには記憶されないと思う。神代が最後の班という感じだ。
坂本は比叡山の門前町の重伝建なので、どのような感じで宗教施設が広がっているかを見に行った。
まずは地下鉄で弁天町へ。そこから普通に新快速に乗り、京都へ行った。また京都かよという感じだが、実はあと数年来ないという衝撃の事実に驚く。名古屋なんてここ1年で5回行ったのに。嫌というほど乗った東海道線・山陽線もおさらばだ。これは別に悲しくない。もう東京〜大阪は新幹線で良い。
坂本を観光するならば、京阪の坂本を使うべきなのだが、余計な金を払いたくないのでJRの比叡山坂本に来た。特筆することのない高架駅で、観光地の近くという雰囲気は全くない。コインロッカーに荷物を預けようとしたが、小さいのしかなかった。これは酷い。強烈に重いキャリーを引いて数キロ歩くことになった。
駅を出て歩くと、白黒のセブンイレブンが有った。重伝建に近いので配慮しているのだろうが、茶色ではなく黒である。灰色もない白黒である。逆に不自然だった。
また、不思議な自販機を見つけた。飲料やたばこのように何かが陳列してあるわけでもなく、値段と小さい文字しか書いていない。何かと思ってよく見ると、これが噂の「JRきっぷ格安販売機」であった。これは、業者がJRから「昼間特割切符」を大量に買い、自販機で転売するというものだ。この昼間特割きっぷは約4割〜5割引のきっぷを12枚つづりで売っているものである。有効期間は3か月だが、3か月に同じ区間を6往復もする人は少ないので、業者が1割ほど利益を上乗せした価格で販売している物を乗客は買うのである。それもこの自販機は駅のすぐそばにあるので、かなり売れるようだ。流石関西人という感じだ。
延々とキャリーを引いて歩き、公人屋敷に着いた。これは、行政職を幕府から任されていた僧侶の屋敷である。今でもそこそこ残っているが、内部が改装されていないのはここ位らしい。まあ、普通の屋敷だった。客を止めることがあるので、その時に使う馬屋があったことくらいしが変わった所は無いと思う。宗教的な山の下に広がる特殊な個人宅というと、富士吉田の御師の家を思い出したが、似ていなくはないと思う。(御師は宿を提供する宗教家なので色々違うのだが)
この後は謎の神社に行った。小さい神社で、水の神を祀り、井戸がご神体。水への古い信仰が、日常的水場である井戸への信仰になったのだろう。
また、境内には「おはよう倫理塾」という謎の講座の勧誘看板が有った。なんと、毎日朝の5時から50分間、「家庭倫理の会 びわこ南」という会主催の学習会を寺でするらしい。キャッチフレーズは、
「すてきな、自分をみつけませんか!どなたさまもお気軽にお越しください。」
怪しすぎる。仏教の寺にあるから良いものを、街中や新興宗教の施設に有ったら怖い。
この後は穴太衆の作った石垣をもつ建物の間を抜け、滋賀院門跡というところに行った。比叡山の院のうち、坂本の町においてはここがトップで、天海が建てたという。天台座主である皇族の住居ともなっていた。中に入ると、おじいさんがガイドしてくれた。まず言われたのが、ここの格が最高位であること。塀に白い筋が何本入っているかが格式を示しており、ここは5本線だった。京都御所と同じ、最高の格式という事。「他の寺に行ったら線を確認してみてください」という自慢をされる。つぎに、「不滅の法灯」を紹介される。これは1200年間一度も絶えていない火を、山の上だけでなく里にも分けてきたものだった。なお、織田信長の比叡山焼き討ちの時に、坂本と山の上の火は耐えてしまったが、山形の立石寺に分けてあった火を後に持って来て復活させたのこと。ここは薄くなってきた襖絵など昔ながらの家という感じであった。この後、天海の墓に行っても良かったが、道が怪しかったので帰った。
次に日吉大社に向かった。灯篭が並ぶきれいな道を進んだが、暑い中キャリーを持っていたので記憶がない。キャリーは日吉大社の小さい祠の横に放置して先に進んだ。普通に参拝したが、工事中の社殿が有って残念だった。
こうして日吉大社を出たが、帰路を歩く気力は無かった。よってバスを20分ほど待ち、駅へと行った。こうしてみると大した距離ではないのだが、キャリーが殺人的な重さだったので辛すぎた。
その後、大垣からの新快速で部員と合流し、適当に帰った。静岡大陸ロングシートの旅では、部員でロングシートを対面でほぼ占領した。信長の野望とポケモンの話をしていたと思う。この部では、野望・ポケモン・鉄道・地理の話しかしていないよ
そうしてついに東京に着いた。この日は京急が走っている時間に着いたので、京急で普通に新馬場まで行った。個人旅行だと品川に着くのが0時半を超えるのが普通なので家まで歩くが、キャリー持ちの今回はこうなると困った。