2012/3/28 北陸旅行5日目 酒田

概要

行き先 酒田市内
目的 本間家関連見学
同行者 2人
鉄道乗車距離 890.9km

発着時刻 駅名 行先
05:17 新潟 信越本線 普通 長岡行
05:36
06:16
新津 羽越本線 普通 酒田行
09:30 酒田 (到着)
15:37 酒田 羽越本線 普通 秋田行
17:25
17:40
秋田 羽越本線 普通 酒田行
19:33
19:39
酒田 羽越本線 普通 村上行
22:00
22:21
村上 羽越本線 普通 新潟行
23:31
23:36
新潟 快速ムーンライトえちご 新宿行
05:10 新宿 (到着)

当日の流れ

この日も安定の5時集合。羽越本線新津〜村上間に乗るために早く出るこのになったのだ。新潟から信越本線に乗ったが、新津につくと同行者が「信越本線の中に大きな荷物を忘れた」と言い出した。駅員に話そうとしたが、時間が早すぎて駅員がいなかった。改札トラブル用の電話が有ったのでダイヤルすると、6時になったら忘れ物の窓口に電話するように、とのこと。6:16の羽越本線まではホームで寝ていた気がする。 さて、羽越線内で電話してみるも、「お繋げすることができません」というような謎の音声が流れるばかりだった。私の携帯からかけてもダメだったので、彼は親にすべてを任せて解決した。結局配送して貰ったらしい。

さて、酒田についた。まずはレンタサイクルを借りる。「本当は未成年に貸しちゃいけない〜」みたいなことを言われたが、それは困るとかいったら借りられた気がする。実際ちょうど3年前に当時の部員が借りている。まずは本間美術館へ。自転車で走って到着すると、同行者が一人消えていた。彼は自転車に乗れないらしく、いつの間にか置いて行かれた上に、止まれなかったらしい。

ここは豪商にして日本最大の地主であった本間家の町である。初めに行った本間美術館はひな人形の展示だった。団体客がうるさい。時代ごとの特徴も詳しく紹介されていた。次に酒田市の資料館へ行った。ここでは大火の話が書いてあった。酒田はフェーン現象のせいで乾いた高温の風が吹き付ける街であり、近年では1976年に町の中心部22.5ヘクタールが焼失している。この時の焼失地域を見てみると、本間邸は焼失ライン上であった。防火林と何重もの土塀によって対策がされていたために焼失しなかったようだ。

次に旧鐙屋へと向かった。ここは江戸時代に栄えた廻船問屋であり、その建物が解体修理されたとはいえ残っている。次に、旧本間邸へと向かった。ここは本間家の旧住居(昭和20年まで)で、商人の家ながら武家屋敷になっている。本間家は非常に裕福であったため、砂防林の設置や美術館の設立、屋敷の献上など多くの社会活動を行ってきた。この豪邸の建築も冬季の農民に職を与えるためだったようだ。この屋敷の向かいには別邸が有り、住居である本邸とは違いこちらは商業用だったという。現在はお土産屋になっている。なお、本間家は他の財閥のように事業を多角化しなかったため、農地解放で財産を失い一度没落した。しかし戦後農機具販売や不動産で再興し、中心であった本間物産はバブル崩壊後に倒産したものの、系列の会社は生き残っている。

この後は山井倉庫へと行った。ここは旧藩主の酒井家が作った、1893年築の木造の現役米蔵である。二重屋根や太陽光を防ぐ林を使って温度管理をしているという。一部は米の博物館として公開されていた。

ここを見終わった後は、神社や寺の多い地区へと行った。光岡文庫という本間家設立の文庫の建物を見たり、最上川を見たりとした。おくりびとのロケ地となった建物もあったが入らなかった。

このあと駅に帰ったが、時間が1時間ほど余った。適当に遊んで待ち、羽越本線で秋田へ進んだ。秋田では15分あるので外に出ようと思っていたが、寝落ちし急いで乗り換えないといけなくなっていたので諦めた。まあ、約1週間前に青森方面から秋田に来ているので良いのだが。あの時はここから奥羽本線で福島を経由して帰ったが、今回は羽越本線で戻った。途中遅延が有り、酒田駅で急いで乗り換えることになった。0番線の位置が分からなかったために(おばさんが教えてくれたが)、最後はダッシュになり、同行者がペットボトルをドアとホームの隙間から落とした。そんなことで新潟につき、MLえちごには6分乗り換えで乗車した。