2012/3/25 北陸旅行2日目 白川郷・五箇山
概要
行き先 | 荻町集落、相倉集落 |
目的 | 重伝建見学/td> |
同行者 | 4人 |
鉄道乗車距離 | 174q |
発着時刻 | 駅名 | 行先 |
---|---|---|
05:59 | 金沢 | 北陸本線 普通 富山行行 |
06:46 06:53 |
高岡 | 氷見線 普通 氷見行 |
07:21 07:29 |
氷見 | 氷見線 普通 高岡行 |
07:58 08:03 |
高岡 | 城端線 普通 城端行 |
08:51 09:00 |
城端 | 加越能バス 荻町神社行 |
10:09 | 荻町合掌集落 | (到着) |
13:10 | 荻町合掌集落 | 加越能バス 城端駅行 |
13:57 | 相倉口 | (到着) |
16:02 | 相倉口 | 加越能バス 城端駅行 |
16:30 16:34 |
城端 | 城端線 普通 高岡行 |
17:20 17:33 |
高岡 | 北陸本線 普通 金沢行 |
18:12 | 金沢 | (到着) |
当日の流れ
重伝建にして世界遺産の白川郷・五箇山へ。今回は目的地があまり遠くないので、直接向かうのでは朝の時間がもったいない。そのため、氷見線に乗りに行った。
朝集合したが、ある同行者が来ないのでおいていった、高岡から氷見線に乗る。沿線風景はごく普通の寂しげな町で、車両もキハ40という、特筆することのない路線だった。
さて、高岡に戻り遅れた同行者と合流し、城端線で城端まで向かう。こちらもキハ40でごく普通の路線である。50分ほどで城端についた。この駅舎1897年築で、瓦屋根の木造駅舎であった。風情があってよい。
さて、ここから白川郷・五箇山に行くのだが、ここは幾つかの集落に分かれている。そのうち3集落が世界遺産である。内訳は、白川郷の荻町集落(大規模)、五箇山の相倉集落(中規模)と菅沼集落(小規模)である。もっとも有名なのは荻町集落であり、団体客はここだけ訪問するのがふつうである。今回は、荻町集落と相倉集落を訪問した。
加越能バスで城端駅を出た。初めのうちはごく普通の風景だが、山に入ると雪が出てきた。途中から吹雪になり、1時間後に荻町合掌集落についたときも大雪であった。まずは和田家住宅へ。ここで注目してほしいのが、「旧和田家」ではなく、「和田家」であることだ。つまり、住民が住みながら家の一部を公開しているのである。これは合掌造りの広さがあったからこそ成し得ているのであって、普通の伝建地域ではこのようなことは稀である。
その後は集落内を徘徊する。表通りは茅葺で無い者が多かった。大雪だったが「大和魂があれば〜」という話になって誰も傘をささなかった。他の観光客は傘をさすか、売店で売っている笠をかぶっていた。雪が酷いので行き止まりになっている道もあった。しかし合掌造りだけあって屋根の積雪はほとんどなく、落雪の危険はなさそうであった。
その後は川を越えて屋外型の資料館へ行った。こちらは、廃村になった地区の合掌造り住居を集団で移築して博物館にしているのである。他の伝建地区ではあまり見られない方式であるが、住居一軒一軒に大きな注目が集まっている集落であるからこそできるのだろう。
そのようにして荻町集落を見終わった。ここは非常に良い住居建築を大量に保持しているが、観光化が進み過ぎており私はあまり好きではない。しかし、住みながらの住居公開や、廃村の移築など、他の伝建地域ではあまり見られない取り組みが有ったのは面白かった。
その後はバスで相倉集落へ向かった。ここはバス停から徒歩10分という奥地にある、合掌造り20棟の中規模集落である。平家の落人が作ったらしい。観光客 は部員のほかに、写真愛好家と思しき男性が居ただけであった。集落入口には、「集落全景が見えるポイントがあります」と言うような立札が有ったので行ってみることにした。山の斜面をあがっていくのだが、一応幅1mほど除雪されており、そこが道とされているが、地面は見えない。また、山を登っていくと途中で道が消えていた。そのため新雪をかき分けて道を作り、最奥部まで到達した。集落全景を見て思ったのが、各家の向きがばらばらであることだ。京都の美山北村は向きが大体揃っていたが、こちらは適当である。また、山の斜面には棚田が多かった。無論雪の下だが。この後は資料館へ入ったが特筆することはない。
この集落は荻町集落とは大きく異なるものであった。観光客がほとんどいないのである。集落自体が小さいのでそもそも大量の客を受け入れることが難しいので、多くの住民は民宿を営んでいる程度であった。お土産屋も一軒しかない。本来の農村の姿とは異なっているが、風情が残っているのは萩町ではなくこちらの相倉であろう。