2012/8/8 北海道旅行2日目 最北路線
概要
行き先 | 富良野、豊清水、音威子府 |
目的 | 富良野線完乗、宗谷本線完乗、秘境探索 |
同行者 | なし |
鉄道乗車距離 | 924.6q |
発着時刻 | 駅名 | 行先 |
---|---|---|
22:43 | 青森 | 急行はまなす 札幌行 |
06:04 06:52 |
札幌 | 函館本線 特急 スーパーカムイ1号 旭川行 |
07:41 08:05 |
滝川 | 根室本線 快速 富良野行 |
09:09 09:57 |
富良野 | 富良野線 普通 旭川行 |
11:05 11:08 |
旭川 | 宗谷本線 快速 なよろ1号 名寄行 |
12:29 12:33 |
名寄 | 宗谷本線 普通 稚内行 |
13:20 | 豊清水 | (到着) |
14:56 | 豊清水 | 宗谷本線 普通 稚内行 |
15:09 16:31 |
音威子府 | 宗谷本線 普通 稚内行 |
18:49 | 稚内 | (到着) |
当日の流れ
急行はまなすで札幌に向かう。3月に初めて乗った時は車両のボロさに驚愕したが、今回は10cm四方に塗料がはげ落ちているような部分は見当たらなかった。しかし、全国を走る現役列車の中で傷み具合は相変わらずトップレベル。
往路はドリームカーではない指定席車だった。段階調節のできないリクライニングシートなのだが、初めて乗車したと思われる2人組は不満げだった。函館でのスイッチバック時に起きた乗客は結構いたが、席を回転させる空気にはならなかった。
そんなことで06:04に札幌に着いた。はまなすからの乗り継ぎは旭川方面の始電にギリギリ間に合わない。MLながらからの高山本線乗り継ぎとこれはどうにかならぬものか。よって、6:52のスーパーカムイで滝川に向かうことにした。
外の見物は2日後にするつもりだったので、駅内を徘徊した。そして6時半に売店が開いたので、朝食(たれを絡めたトウモロコシが片面を覆ったおにぎり)と北海道新聞を買った。ここで江差線廃線のニュースを知る。この時点では2chにもtwitterにもこのニュースは流れていなかった。やはり早い。
スーパーカムイを滝川で降り、根室本線で富良野へ向かった。この辺りは特に面白いこともなかったと思う。富良野に着いてからは、乗り換え時間で駅周辺を徘徊した。結構観光客でにぎわっていた。
ここからは富良野線で旭川へ向かう。この路線は予想以上の混雑で、立ち客が結構出るレベルである。しかも中国人が多かった。英語で「この列車は中富良野駅に行きますか?」と聞かれたので適当に答えた。富良野線の景色は微妙だった。確かに北海道らしくもあるが、普通の田舎という感じも結構する。特色としては、花畑が多かった。
旭川に到着したが、ここでの乗り換え時間は3分だった。そのため昼食は買えず。宗谷本線の快速なよろに乗車したが、相当混んでいた。老人はともかく、昼間のローカル線にしては珍しく会社員の集団が多い。途中比布駅を通過したが、ひらがなの大きな看板が有った。士別を過ぎたあたりで座れたが、旭川〜名寄を乗りとおした客も結構多い。
名寄駅は意外に田舎だった。留萌駅のように感じた。ただ、町には大型量販店が多く、自衛隊や大学もある為賑わっているらしい。ちなみに、名寄、美深、音威子府など6市町村で合併し、神奈川県並みの市を作る構想もあったらしい。そうしたら多分ここが市役所所在地。
ここからは宗谷本線普通稚内行に乗車した。ここから先の宗谷北線は利用者が少なく、駅前に集落が無い駅が普通に沢山存在する。そして、駅と言ってもごく簡素な「待合室」とコンクリートの高台と言うべき「ホーム」しかない物が結構ある。極め付けに、普通列車が通過する駅が多数存在する。こんな路線を乗りとおすのは僅かしかいない。
列車は豊清水駅に着いた。ここは列車の行き違いができるため保線用の建物があるが、当然無人である。稚内まで急ぐ必要もないので、ここで降りてみた。ホームに出ると、行き違いの為停車中の車内から好奇の視線を多く向けられた。こんなところで降りる人間はほぼいないのだろう。なにせ、この駅は駅から見える範囲に現役の人工物が皆無なのである。
列車は行ってしまった。1時間半駅周辺を探索することに。まず、ここは非常に寒い。8月上旬、本州では日常的に35度を記録しているというのに、ここは15度である。稚内より寒かった。冬はどうなることやら。
駅前に出てみた。駅と道路を結ぶ短いアスファルト道はひび割れだらけだった。管理する意味も大してないだろうが。駅舎は一応大きな損傷なく建っている。だが、駅前から何故か線路に通じる道は草に覆われている。駅開業時には付近に清水集落が2つ有ったそうだが、今は消滅している。
「駅前通り」へ出てみた。どこを見ても何もない。有るのは打ち捨てられたバス停、廃牧場、痛んだ舗装道である。正面にビニールハウスの骨組み的形状の廃墟が有ったので近寄ってみた。中は草が茂っているだけで何もなかった。牧場の遺構は他にもいくつかある。「ハウス」の少し右には半壊した木造2階建て、その右には塞がれたタンク(?)がある。また、道路を挟んだ駅側にはトラクターとブランコ的な機械が捨てられている。トラクターは今でも動きそうな状態であり、捨てられてからそこまで長いことは立っていないんじゃないかと思う。まさかここに駐車されているだけ、という事は無いだろう。この周辺に現役の牧場施設は無いのだから。
この痛んだ舗装道を音威子府方面に歩いていった。初めのうちは広大な廃牧場と線路しか見えないが、途中で右手に踏切と森へ続く道が見つかった。ここを抜けると名寄国道に通じるらしい。だが、誰も通らなそうである。
また、その先に橋が出現した。昭和40年代に架けられたと書いてあったので、その時は牧場が現役だったのだろうか。ここまでは美深町で、ここから先は音威子府村である。美深町は痛んでいるとはいえ道路を舗装しているが、音威子府村に入ると舗装が無くなり砂利道になった。砂利道が延々と続く平地という光景は初めて見た。近代化以前はこうだったんだろうか。
ここを歩いていくと、90度右に曲がるところがあり、踏切に出る。ここにはすべりどめ用の砂が設置されているが、使う人は居るんだろうか。踏切から見える範囲の砂利道に20cmくらい陥没していそうな水たまりが2つ有るので、ドライバーは進入したがらないだろう。
踏切を超えると、名寄国道へ続く直線道路が現れた。ここを進んで、ようやく人家を1つだけ見つけた。車が3台ほど駐車されているので、独居老人ではないのだろう。ここまで徒歩15分ほどかかった。
ここからは豊清水駅に帰る。先程と同じルートである。消えた集落、廃牧場、どこまでも伸びる砂利道は寂しさを感じさせる。開拓の夢の跡。
豊清水駅から乗車すると、またも乗客から好奇の視線を受ける。そして、3駅で音威子府に着いた。
音威子府では82分停車である。もう稚内行ではなく音威子府行に名前変えた方が良いんじゃないか。車内で待っていてもどうしようもないので、駅舎へ行った。工芸高校を作ったくらい工芸に力を入れている村なだけあって、「現在改札中の列車」のプレートが木彫りである等、面白い内装。まず、天北線資料室へ。現在はバスになった路線だが、当時の駅名標などが置いてあった。また、歴史の所に「○○より××等40人入植」など、開拓地らしいことが書いてある。なお、名物のそば屋は定休日。
外へ出てみるが、やはり寒い。駅前には宗谷バスのバス停があった。ここは「音威子府駅」という看板は出しておらず、「音威子府交通ターミナル」である。そのため、駅舎内にはJRの窓口と宗谷バス窓口がある。北海道ではたまにある光景だ。
駅から大通りへ向かう。途中には古い木造家屋がいくつかあった。1904年の国道開通以来、交通の要所として栄えたが、1980年代からの天北線廃線、国鉄合理化で鉄道関係者が一斉に引き上げたために現在は人口が1000人を切っている。ただ、現在でも道の駅はあった。中へ行ってみたが売店の規模は小さかった。名産品のそばは売っていた。その後は昼食を買うべくコンビニ風外見のスーパーへ。店舗面積も商品もコンビニっぽいが、やはりスーパーっぽくもある。御爺さんと御婆さんが経営しているようだった。普通に調理パンとお菓子を買ったが、ペットボトル飲料が妙に安かったので買った。
音威子府から先に進む。先程の普通列車の客も16:08の特急に流れたので、さらに先へ進むのは数人(単身旅行者と自転車乗りのみ)となった。当然ガラガラで、一ボックス占有できた。私の前のボックスには男二人組の自転車愛好家が座っていた。宗谷北線は自転車乗りの比率が非常に高かった。往復共に1車両に3人ほどいたと思う。彼らは折りたたみ自転車を持ち込み、走りたくなったら下車するようだ。
この辺りは牧場くらいしかない。いわゆる「北海道像」が見られる区間だ。途中から牧場のバックに利尻富士が見えるようになるので、景色は非常に良い。この時間帯がちょうど空が赤くなってくる頃なので、最北路線の雰囲気が出ていた。この無人さ、空の色、利尻富士、みな強烈な印象として記憶に残った。
18:49にようやく稚内に着いた。東京から43時間かかった。最北の駅のホームは乗り場が1つしかない寂しい物であった。ただ、駅舎は大規模で、お土産屋、コンビニ、観光案内、ロッカー、市役所施設、そして映画館までが揃っている。とりあえずセイコーマートで夕食を調達した。加えて「とうきび茶」というものを買ったが、トウモロコシの味がして非常に不味かった。
駅前には線路の終点がある。駅舎改装時にホームが移転したので、最北地点の碑は駅前なのだ。周囲に地元民の姿は無く、自転車乗りが5人程居るのみだった。最終の特急は17:10なのでしょうがない。ここからはホテルを目指して歩いた。ホテルには日刊宗谷という駅ですら売っていないローカル紙を入手。