2015/7/29 姫路・津山
概要
行き先 | 姫路・津山・岡山 |
目的 | 姫路城・津山城・イオンモール岡山 |
同行者 | なし |
鉄道乗車距離 | 437.3q |
発着時刻 | 駅名 | 行先 |
---|---|---|
05:22 | 出町柳 | 京阪本線 普通 淀屋橋行 |
05:32 05:44 |
東福寺 | 奈良線 普通 京都行 |
05:46 05:52 |
京都 | 東海道本線 普通 西明石行 |
07:01 07:05 |
芦屋 | 山陽本線 新快速 姫路行 |
07:55 | 姫路 | (到着) |
11:21 | 姫路 | 姫新線 普通 播磨新宮行 |
11:54 11:58 |
播磨新宮 | 姫新線 普通 上月行 |
12:34 13:07 |
上月 | 姫新線 普通 佐用行 |
13:12 13:21 |
佐用 | 姫新線 普通 津山行 |
14:20 | 津山 | (到着) |
17:31 | 津山 | 津山線 普通 岡山行 |
19:01 | 岡山 | (到着) |
20:41 | 岡山 | 宇野線・瀬戸大橋線・予讃線 快速マリンライナー 高松行 |
21:38 25:00 |
高松 | ジャンボフェリー 神戸行 |
05:15 | 神戸港 | (到着) |
当日の流れ
夏休みの始まりを体感しようと、どこかへ出かけようと思った。前日に思い立ったのであまり遠出はしないことに。となると、前から行きたかったが長らく改修中だった姫路城。当然それだけでは時間が余るので、その後は現地で考える、と。
京阪で東福寺へ行き、京都を経由して新快速に。かなり混んでいるおり特に三宮〜加古川間が酷く、すし詰めであった。慣れないからか吐き気と寒気に襲われる。
8時に姫路に着いた。駅を出ると、いや駅の中からも白鷺城を望める。駅前の大手前通りを1キロ北上すれば城に突き当たる。観光客としては中々に素晴らしい都市構造だと思う。気分がすぐれないので休憩し、途中のスーパーで地元のどら焼きを買いつつ大手前通りを城へ向かって歩く。この南北の通りに直行して各種の通りがあり商店街となっていた。ここで、街道方向の通り・それに直行する城方向の筋という都市史の話を思い出した。地図を確認すると、大手前通りこそ通りであるが、あまり広くない南北の道が筋となっていたので、姫路にも近世城下町の構造が当てはまるのだろう。
休日では整理券が出るほど混雑するらしいが、この日はそうでもない。ただ各所にスタッフが建ち、また熱中症警戒のため飲料の屋台があるなど大規模な観光地らしい。
姫路城は世界遺産に値する城だった。堀・石垣の規模が大きいし、天守はもちろん、門や櫓も多く現存し往時の戦闘的な雰囲気を伝える。また白鷺城という名にも値する。優美であるのもそうだが、本瓦の接合部に盛られた白い漆喰のおかげで全体的に白っぽい。
さて、城を見終わった後にどこへ行こうか。本来ならば城下町の武家屋敷散策などしたいのだが、姫路市街地は空襲に遭っており古い建物がほぼない。博物館はあまり行く気が起こらなかったので行くとすれば円教寺だった。しかし時刻表を覗いたら、今から駅へ行けばうまく姫新線に乗れることに気付いた。ここで路線変更。
姫新線となれば、行先は津山しか思いつかないので津山へ。まずは播磨新宮へ、そこからは上月へ。播磨新宮〜上月間で白人観光客が乗っており、地元の中学生が興味津々にしていた。小声で「外国人だ!」「写真撮ってもらう?」などと会話している。この辺りだと中々やってこないのかもしれない。
終点の上月を待たず、佐用でほぼ全員降りてしまった。というのも、津山方面への乗り継ぎ列車は佐用始発であるし、上月は小さな駅であるからだ。しかし上月城の名を聞いたことが有ったので敢えて上月へ。
上月駅は駅より直売所の看板の方が大きかった。郵便局も併設されている。皮を挟んだ向かいには佐用町役場の出張所が有った。佐用というと水害のニュースで聞いたことがあったが、役場玄関には当時の浸水ラインが示されていた。結構高い。
付近を散策したが、駅付近では長時間いられるほど見どころは無かったし、何より暑いので一度作用へもどり、折り返しの列車で津山へ。
津山の駅を出ると大雨が始まった。こんな予報ではなかったのだが。傘もないしこれでは城や城下町にはいきたくないので、とりあえず天満屋に。車窓から津山市街を見て、ぶっ飛んで巨大な建物があったので気になっていた。
ここは商店街に隣接し、再開発でできたもの。百貨店の天満屋、市の音楽ホールや図書館などの複合施設だった。付近は他に大きな建物が無いので異様な風景ともいえる。スーパー、カフェなどはまぁまぁ客がいるが、一番百貨店らしい雰囲気の婦人服・化粧品はガラガラ。百貨店とはいえ、地元の学生やいかにも庶民のような人などが多い。図書館はワンフロアであるが広く、結構充実している。スーパーで地元の和菓子を探したが、どうも八幡浜の和菓子屋のものが多い。ここまで来ると愛媛県の商圏なのか。
雨が上がったので商店街を通り町並み保存地区へ。この商店街はシャッターが下りている店、一応営業中らしいが客はいないし明かりすらついていない店が多く寂れている。他の地方都市もこのような物だろうが、津山は商店街の規模が結構大きいし、アーケードが古びているのが大きい。
町並み保存地区へ着いた。城東地区は出雲街道沿いの城下町で、街道沿いに商家、その裏の山側に武家屋敷を配していた。現在では商家の地域において面影が残り、重伝建となっている。
橋を渡って保存地区へ入ると、そこは鍵型の街路となっている。ここでは保存地区の東西端と中盤の計三か所にこの道割がある。行軍の防止のため設計された街路が残っている。
この地区の特徴は切妻平入り2階建て、なまこ壁、両脇の焼板などだろうか。ただ、近年たった非伝統建築も実に印象深い。重伝建の街道に面しながら、空き地、大きな駐車場、さらには空き地へのソーラーパネル設置も見られる。2013年に重伝建となっているので、それまでに無秩序な改変を受けているといえるだろう。ここの場合、現状を維持するために重伝建となったというより、重伝建とすることで町並み整備を行う、という位置づけで考えたほうがよさそうだ。確かに、重伝建にしないのは勿体ないレベルは備えているのだから。
かつての商家が公開されているので入ってみた。近代になってから街道沿いの母屋の裏に洋館を建てており不思議な空間となっている。洋館が見学できなかったのは残念。大正時代の座敷は風格があったが、そこから望む池はコンクリで埋められており、重伝建なのだから今後旧態に戻してほしい。
次に津山城へ行った。現存建物はないが、大規模な石垣を誇る。櫓の数も往時は広島・姫路以上だったらしい。櫓が一つ復原されているが、特に展示もなく寂しい。アクセスしやすくはないものの、大きな城郭なので一見の価値あり。
津山からは岡山へ。近頃できたイオンモールの視察である。駅直結7階建て、敷地も広い。中央部に吹き抜けが有り、楕円状に通路と店舗が並ぶ。ショッピングコーナーは吹き抜けに白基調の内装だが、レストラン街は黒基調に変えていてよい。多種多様な店舗が揃っており、これは岡山のショッピング地図を塗り替えてしまっただろう。雰囲気も良さげだし、何より規模が大きいので便利。
ここから山陽本線でかえっても良いのだが、そろそろ飽きた路線となってきた。そこで、高松から神戸行きの夜行フェリーで帰ることに。衝動的にマリンライナーに乗ってしまった。
高松に着いたが、フェリーの連絡バスまで2時間ほど待ち時間が有った。売店の物色などもしたが飽きたので外へ。暗い駅前には広いスペースがあり、音楽を奏でる人と、取り巻いて座る人がいた。港まで歩いたが、誰も居ないし船もあまりいなくて暗い。高松は過去2回散策したのでそれも長くはせず、駅に居た。
0時になると、「回送」を出したバスがおもむろにやってくる。何のアナウンスも掲示もないが、時間と場所からしてこのバスなので乗り込んだ。本当にこのバスが若干怪しんだが、バス内にフェリーの運賃など案内が有ったので分かった。そもそも、暗くて良く見えなかったが、フェリー会社のラッピングバスだった。
10分ほどで港へ着いた。昭和の香り漂う看板のフェリーターミナル。1時発の便に乗るのだが、神戸から来たその船の遅れで乗船時間が遅れたよう。乗船すると中々に快適な船内であった。2階がリクライニングシートとソファーの洋室、3階がカーペットである。トラック運転手用の部屋や個室もあるそうだが、中へ行ってないので分からない。取れる食事はうどんということで香川の会社の意気を感じた。しかしそれにとどまらず、座席もどん柄だった。突っ走っている。
洋室に席を取り、出航まで屋外に居ようと思った。続々とトレーラーがコンテナを下ろしていく。車庫入れ技術に感嘆。しかし中々時間がかかり、出航は30分ほど遅れていた。暗くて良く見えないものの、港を離れていく景色は独特の感動を呼ぶ。
客は全員乗ったが、客室はガラガラ。ただ、貨物の余ったスペースに客を乗せているような船なので、甲板はコンテナでいっぱいなことから問題ないのかもしれない。(トラック運転手は別部屋)景色を見ていたが、暗すぎてほぼ何も見えないので途中であきらめた。
フェリーは定刻5:15に神戸新港についた。この時点で寝不足と体調不良がありさっさと帰宅した。