2013/8/31 迎賓館赤坂離宮
概要
行き先 | 迎賓館赤坂離宮、四谷・信濃町界隈 |
目的 | 迎賓館特別公開 |
同行者 | なし |
時刻 | 場所 | 備考 |
---|---|---|
11:50 | 四ツ谷駅 | (前略、到着) |
12:00 14:10 |
迎賓館 | (参観) |
14:10 15:40 |
四谷・信濃町界隈 | (徘徊) |
15:40 | 信濃町駅 | (到着、以下略) |
当日の流れ - part 1
味気ないビルでの夏期講習ばかりでは精神的に死んでしまう、という事で高三の夏ながら赤坂迎賓館へ。公開時期は、国賓の接遇が行われにくい8月のうち10日間ほど。ネットでの事前申し込みと抽選を経て、7月末に当選通知がメールでやってきた。本人確認をするのでメールを「印刷して」もってくるようにという指示。
さて、この日は最高気温36度の猛暑。空いている時間帯を狙いたいので、暑そうだが12時過ぎから2時間程度の滞在を見込んで四ツ谷駅へ。空が広い上、丸ノ内線の地上駅であり、個人的に好きな駅である。
四ツ谷駅に付くと、「←迎賓館」という案内が各所にある上に、アトレ内の料理店が迎賓館参観者限定のセットを発売するなどしていた。10日間で2万人が来場するのである。
さて、四ツ谷駅から5分程度歩くと、右手に学習院初等科の門が現れるとともに、白地に金の立派な門が現れる。これが迎賓館の正門だが、参観者が入るのは右手の塀沿いに進んだ先の西門である。正門を開けると迎賓館の建物の前の広い庭園を通らせることになるので、警備も面倒だし荒らされる心配もあるだろう。
ただ、正門前からは迎賓館が正面から見えるのと、庭園を覗けるのでこの辺りをまずは見る。正門にはやはり菊の紋。ここまで贅沢な門は見たことがない。また、庭園の建物をズームで撮影したが、こちらは桐の紋。
西門から入り首都高の上を越えると、参加証と身分証の照合、さらには空港と同じ金属探知ゲートの通過と荷物検査が行われる。皇居の一般参賀は係員の手による荷物検査のみだったが、こちらはX線の機械を用意している念の入れ様。桐の紋のバッヂを受け取り、付ける。
入場を済ませると、迎賓館の左翼側(曲線状の建物である)に出た。意外と空いている。まずは正面から見ていく。この建物、建造は1909年で、鉄骨と煉瓦を併用した地上2階、地下1階のネオ・バロック式宮殿である。当初は東宮御所になる予定だったが、華美すぎる上に使いにくいという事であまり使われなかった。戦後に国会図書館や各種政府組織に使用されたのち、1974年から迎賓館となった。築100年を超えているが、贅沢に作られたので2つの震災も耐えた。2009年には明治以降の建造物として初めて国宝に。
近くから見ると実に重厚。各所の装飾も非常に凝っている。
中央部上には、緑青に覆われた鎧武者が配置されている。じつは阿形と吽形。全体的にいえばヨーロッパを真似した建築にすぎないのだが、細かな装飾では各所に日本らしさを導入しようとしている。
鎧武者より外側には、果物に縁どられた桐の紋と共に、鸞(らん)という架空の鳥のレリーフが左右対称に配されている。
中央左翼側には写真のようなレリーフが有った。農産物と歯車、つまり農業と工業である。右翼側には音楽関係のレリーフが有ったが、撮影し忘れた。
我々が入るのは左翼端からなので、接遇時に使用する正面玄関は閉じられている。ここの扉もまた立派。三枚構成で全てに桐の紋は貼られているが、中央にのみ菊の紋も貼られている。
また、建物の反対側には市ヶ谷の自衛隊通信鉄塔が見えた。高さ220mだとか。こういった高層物件はホテルニューオータニなど幾つかが眼に入るが、大した大きさでもないので、都心ながら開放的な空を楽しめる。
次は建物の裏に回る。「裏」というと地味な印象を受けるが、裏も作りこまれている。というか、裏には大きな噴水が有るので、裏の方が派手かもしれない。噴水と建物の間に植えてあるのはクロマツ。正門の向こうにあった庭園もクロマツである。松とネオ・バロックの宮殿という組み合わせも面白い。なお、この辺りは砂利敷きの庭園となっているのだが、ゴミや枯れ枝の一つも落ちていない。
建物の横側には休憩所が有りペットボトルを100円で販売していたり、接遇時に称する盆栽を展示したりしていた。これらの盆栽、樹齢110年と言うのも有った。立派なのだと思うし、趣があると思うが、よくわからない。